素材、手間、趣き

南禅寺界隈でみつけた竹垣
 
節の位置が、意図的に一本一本ずらしてあるのがわかります。
(その証拠に、釘の高さはきれいにそろっています)
 
実際にやってみると分かりますが、
位置をそろえるより、ずらすほうが格段に難易度が高いのです。
 
節の位置をずらして堅苦しさをぬぐい、自然の風合いを生かし、
隣り合う竹どうしは、節の幅の変化に合わせて削り合わされています。
 
どこでも手に入る素材にそこまで手間をかけるのかと思うほどですが
その手間によってしか生まれない上質な繊細さと趣きが現れています。
 
 

固有のデザイン感覚

臨済宗大本山 南禅寺、三門
 
見るからに堂々とした荘厳な門ですが
手前の木に隠れて半分しか見えない。
 
いや、そうではなくて
あえて半分くらいしか見えないようにしているのではないか?
 
最初から全容を明かさず、奥へ奥へと導いていく
日本固有のデザイン感覚がここにもあるのかもしれません。
 
 
 

白河院

庭園に面した、全面ガラス窓の開放的なつくり
 
今回宿泊した南禅寺近くの白河院。
黒褐色に日焼けした木枠に軒の深い瓦屋根、
モノトーンで細身のプロポーションは、まるでミースの建築のようです。
 
 
 
 
 
室内から見たところ
 
庭園の緑が飛び込んで来そうなほどのパノラミックな窓。
ガラス建具の框や桟のデザインは極めて繊細、
主役である風景を生かすエレガントなデザインです。
 
現代建築でもここまでのクオリティはなかなか出せないほどの上質な空間です。
 
 

禅林寺、臥龍廊

禅林寺、臥龍廊
山の斜面に沿ってつくられた回廊にある湾曲した階段です。
床、欄干、屋根、これらすべてが見事なカーブを描いています。
 
 
 
 
 
上から見下ろしたところ。
 
渡り廊下という脇役であるはずの場所にもかかわらず
ものすごい力のこもった仕上がりで、改めて大工仕事の技術の高さを見た思いです。
 
 

寺院建築のデザインと細工

御影堂、屋根の組物
斗栱や手先は部分的に胡粉で塗り分けられています。
 
複雑な組物にもかかわらず、すべてのパーツが正確にかみ合っていて
仕事に隙がありません。
 
 
 
 
 
 
扉を補強する飾り金具
 
補強しつつも飾りとなるよう、見た目にも均整が取れていて
デザイン、細工とも引き締まっています。
 
 
 
 
開口部の菱格子
 
部材がクロスする接点がピタリと揃っています。
当たり前のようですが、全て人の手による正確な仕事の証です。
 
 
 
 
花頭窓、下枠部分
 
ここでもそれぞれの部材が精緻に組み合わされ
部材ごとの微妙な凹凸が構成美を生み出しています。
 
寺院建築は数寄屋とは趣の違うセンスが表現されていますが
そのよどみのない正確なデザインと仕事ぶりは、
雑念を消し去り、心が改まる気分を与えてくれるようです。
 
 

釈迦堂の大屋根

禅林寺(永観堂)、釈迦堂の大屋根
 
この写真、CGで画像処理されたものではなく
人の手によってつくり上げられたもので
寸分の隙もないとても精緻な仕上がりは圧巻です。
 
手間のかかる仕事だけにコストも相当なものでしょうが
単に贅沢な材料で豪華に見せるのとは全くの別物。
 
仏の教えを真摯に受け止め、心を込めた仕事がゆえに
見る人の心に響くのでしょう。
 
 
 

釈迦堂 縁側空間

心静かに庭に向かう
 
禅林寺(永観堂)、釈迦堂の深い縁側と前庭、
とても静かな時間が流れています。
 
右手には勅使を迎える唐門と前庭にある盛砂が定位しています。
盛砂は勅使が身を清めるためのものだそうです。
 
縁側には目の覚めるような鮮やかな五色幕がかかっており
深い縁側空間をその陰影と風の動きによって濃度を上げています。
 
静かなのに濃密なこの空間、なかなか鋭いです。
 
 

自然とともにある

禅林寺(永観堂)、総門をくぐり、中門への参道
東山を背景に、新緑のカエデがとても鮮やかです。
 
それにしても広々としたアプローチで
緑あふれるこの空間がとても清々しい気持ちにしてくれます。
 
 
 
 
玄関を抜けると緑あふれる中庭が現れます。
 
これは人の手によって生み出されたいわば「擬似自然」
しかし、その風景は限りなく本物に近く、作為が薄められています。
 
 
 
 
 
 
中庭へ大きく開いた釈迦堂の深い軒と縁側。
 
古来から日本人は生活のそばに自然を引き寄せて暮らしてきました。
そして、ただ単に自然に寄り添うだけでなく、
様々な手を加えて生活文化にまで引き上げてきたのです。
 
日本人が脈々と築いてきた自然とともにあるくらし、
忙しいこの時代だからこそ、その豊かさが深く感じられます。
 
 
 

法然院 参道

法然院、参道入口
 
京都東山の麓に位置する法然院
その参道のデザインは今見てもとても洗練されており、かつ独創的。
俗世界から聖域に導くアプローチの妙を味わうことができるのです。
 
 
 
 
石段は自然石を乱形に敷き詰め、御影石の延石で縁を引き締めています。
リズミカルなパターンは、まるで静かな沢の流れのようで、
俗世の乱れた心を洗い落としてくれるているようです。
 
 
 
 
 
石段を上がるとその先には静かな木立が広がるのみ。
そこにあるのは「無」、ただただ静けさのみが漂います。
 
参道はここで左に折れ、場面が転換、
はやる気持ちを落ち着かせているように長い長い参道を歩かせます。
 
 
 
 
 
左に折れた参道はしばらく木立の中をまっすぐ進みます。
自然の山の斜面を切り裂くように挿入された幾何学的な造形、
静けさの中にも強い意志を感じます。
 
参道の先には再び石段があり、第二の場面転換が行われます。
高低差と角度を振ることで、世界が変わることを強く印象付けています。
 
 
 
 
 
その石段から参道を見返したところ。
矩折りの参道と緩く幅広い石段、調和と対比が見事にバランスしています。
 
 
 
 
 
階段をのぼると、正面に山門が見えてきます。
ぽっかりと四角に開いた山門が風景の焦点をつくり
アプローチのクライマックスを見事に演出しています。
 
参道はここから一直線に山門へ向かい、床の仕上げも砂利敷きに変わっています。
踏みしめる音が加わることで、聖域に向かうことをさらに意識させます。
 
高低差を利用した巧みな場面転換で長いアプローチに抑揚を与え
抑制されたデザインながら、しっかりとした意図が感んじられる空間です。
 
 
 

四君子苑

京都の鴨川沿いに位置する四君子苑。(写真奥、赤レンガ調の建物は北村美術館)
 
昭和の数寄者、北村謹次郎の旧邸と茶苑、そして庭園からなる数寄屋建築の至宝です。
建築を手がけたのは、数寄屋の名棟梁、北村捨次郎
本宅は戦後、進駐軍によって一時接収されましたが
昭和38年、近代数寄屋建築の第一人者、吉田五十八設計によって建て替えられました。
 
 
 
 
 
西向きの表門は軒が低く、ひっそりとした表情です。
道路との間に設けた駒寄せ(木の柵)の格子は間が大きく、高さも低め。
門や塀の高さとのバランスがよく、さりげなく結界をつくっています。
 
この駒寄せがあることで道路との間(ま)を引き締めて、
小さな空間に緊張感と奥行きを生み出しています。
 
 
 
 
土間に配された飛び石。
自然石のかたち、大きさ、色、構成、すべてにクオリティが溢れています。
 
 
 
 
 
入口扉のコンポジション。
上下に杉の中杢、その間に入れた竹格子が洒落てます。
 
 
 
 
左脇の中潜り。
正面大扉より小ぶりに抑え、簡素な表情に徹しています。
 
 
 
 
簡素なデザインながら、真ん中に3本の切込みが入れてあります。
繊細に仕上げたその細工が、節のある丸太の粗野な枠材と対比をなしています。
 
 
 
 
 
右脇壁の照明器具。
両脇を台形にして厚みを減らし
竪格子を入れることでさらに涼しい表情にまとめられています。
 
 
 
 
軒裏は白竹の簀の子貼り、わざと目地から泥土をはみ出させたのも
北村の好みだそうで、細部にわたって心が配られ、趣向があふれています。
 
表門だけでもこれだけのクオリティに満ちているのだから
中はどれだけすごいのだろうと、否が応でも期待が膨らみます。
 
 
 
 
この門をくぐるとめくるめく数寄屋のワンダーランドが待っています。
しかし、写真撮影はご法度なので、残念ながらレポートはここまでです。
 
天下の銘木をふんだんに使い、当代気鋭の大工と建築家、そして庭師が手がけた名作を
何度も何度もため息が出る思いで味わいました。
 
四君子苑は毎年、春と秋に特別公開されています。
あなたも、次の機会に是非、堪能してみてください。
 
北村美術館HP
四君子苑