時は文化なり

長年続けている茶道は昨日が今年の初稽古、
先生が作ってくださった点心をいただきました。
 
仕事では常に時間に追われる日々ですが
稽古では、いつもの所作を改めて繰り返すことによって
乱れていた心が少しずつ整っていくようです。
 
速さではなく、逆にゆったりと
そしてできるだけ丁寧に所作を行う時間をかみしめていく。
 
「時は金なり」とはよく言いますが
あえて「時は文化なり」という価値を磨いていきたいですね。
 
 

豊かな時間をさらに求めて

あけましておめでとうございます
 
今日から湯野では工事が再開されました。
 
周南市の山あいに位置する湯野地域は周囲を山に囲まれた盆地で
その盆地を貫いて流れる夜市川沿いに古来より温泉が湧出し
戦前から温泉を利用した療養地として活かされてきました。
 
盆地に流れ込む雨水は田んぼを潤して
田植えの時期には一面が湖のような水面となり
青い空と雲を地上に写し込み、穏やか自然の景色が現れます。
 
この穏やかな風景は、とてもとても何気ないもので
いわゆる「絶景」とはまったく異なるものですが
その穏やかで平和な風情にこそ、この湯野の個性が潜んでいると感じています。
 
この穏やかで平和な風情を最大限に生かし
時間を気にせずゆったりと過ごせる場をめざしています。
 
昨年はチャットGPTなどAIの進化を身近に感じる年でしたが
そのスピードは、今後もさらに加速していきそうです。
 
世界では日々、大変なことが起こっていても
いちいち気にとめる余裕もないほどに時間が過ぎていきます。
 
そんな時代だからこそ、
オルタナティブとしての平和で豊かな時間がとても大切になると考えます。
 
TIMEでは、引き続きこの豊かな時間にこだわって
人間らしく過ごせる時間と場を提供していきたいと思います。
 
今年もどうぞよろしくお願いします。
 
 

水の郷

一面に水が張られ、田植えを待つ山里の風景
新たなプロジェクトの関係で湯野地区の風景を見てきました。
 
 
 
 
 
 
棚田の水鏡に映り込む青空が美しい。
梅雨入り前の棚田では一斉に田植えが行われていました。
 
 
 
 
 
 
ほとんど湖のよう
 
まるで土地という土地すべてが水に満たされたような風景は
アスファルトに覆われた市街地に住む人間にはとても新鮮です。
 
 
 
 
 
 
水しぶきを上げながら、滔々と湧き出してくる清らかな水
山から湧き出した水は水路を通じてそれぞれの田んぼに導かれていきます。
 
あちらこちらに水の音が響き、豊富な水があふれる郷は
自然の豊かさを感じさせてくれます。
 
 
 
 
 
 
棚田の石垣と水田の苗
 
これらはあくまで人間がつくり出したものですが
不純物のない自然物だけでできた風景はなんとも美しい。
 
 
 
 
 
 
石垣は自然石を巧みに積み上げたランダムなもので
自然の形に寄り添いながら人間の知恵が加わってできています。
 
 
 
 
 
 
こちらの棚田はやや新しいものか・・・?
石垣のうねる曲線が現代建築のような造形にも見えます。
 
 
 
 
 
 
 
こちらはおまけですが
太陽の光を受けて黄金色にかがやく麦畑と新緑の山並み、そして青空
何気ないですが、みじかな場所にもこんなに美しい風景が存在しています。
 
 
 
 
 
 
山の中腹まで登って見下ろした湯野の郷
 
周囲の山に囲われた、すり鉢状の土地が
山から湧いてくる豊かな水の受け皿になっていることがわかります。
 
特別な何かがあるわけではないけれど
こんなにも豊かな郷だったのかと、再認識させられました。
 
豊かな自然に抱かれた水の郷は
じわっとインスピレーションを与えてくれました。
 
 
 

 

「つなぐ」をデザインする

 
大学卒業後、10年間、建築設計を一から教えてくださった北山さんから
最新の作品集が届きました。
 
集大成とも言えるこの作品集のテーマは「つなぐ」
 
40年以上にわたり、まちと人、景色と人、そして人と人をつなぐ建築を意識して
建築だけで完結するのではなく、周囲のまちや景色とのつながりのなかで
建築をデザインしてきた作品をみることができます。
 
 
 
 
 
 
 
最近作の草津温泉再整備計画
 
時代の変化で衰退しかけていた草津温泉の個性を丁寧に読み取り
10年以上の時間をかけて、点から線へ、線から面へと計画を展開し
少しずつ個々のスポットを改修しながら全体の回遊性を高めていった
エリアリノベーションのお手本のようなプロジェクトです。
 
4年前、現地で計画中の敷地を北山さんが案内してくれたので
完成した姿を見ると、まさに、ビフォーアフターを実感します。
 
テレビの中継で映し出される有名な湯畑周辺の賑わいには
この再整備の計画が大きく貢献しているということがよくわかります。
 
 
 
 
 
 
 
作品集には過去の事例を多く取り上げられており
若い頃に関わった福岡のベイサイドプレイス博多埠頭も掲載されています。
 
当時はバブル全盛で、派手さや豪華さばかりが求められるなか
建物と港の間にあえて広々としたウッドデッキのスペースを設けて
人々がゆったりと過ごせる空間のゆとりを生み出したデザインは
今の時代にも通ずる考え方だと思います。
 
建築自体のデザインは時代とともに変化していきますが
「つなぐ」という考えには時代を超えた普遍性があり
様々な形で私の設計にも受け継がれています。
 
 
 

 

臼杵の家、新聞掲載

一昨年の秋に完成した大分県の臼杵の家
このたび大分合同新聞の住宅特集にに掲載されました。
 
周南市からは車で約4時間、設計から完成までに2年余り、
長い時間を感じるプロジェクトゆえに、とても思い出深い仕事でした。
 
先日、建築家の磯崎新氏がご逝去されましたが
大分県は礒崎氏の出身地で県内にも幾つかの代表作を残されています。
 
その礒崎氏の薫陶が根付いているせいか
大分県内には建築に対する意識の厚みのようなものを感じます。
 
改めて、彼の地にて設計した建物がこのような形で
取り上げられたことに感慨を覚えます。
 
 

余白のある時間

あけましておめでとうございます
 
令和になって5年目を迎えました。
世界は激しく動揺し、私たちの日常も日々変化を続けています。
 
 
タイムパフォーパンスの略語ですが、
時間あたりの効率や満足度を意味することばです。
 
確かに、自分も動画の倍速視聴をすることが増えた気がします。
忙しい現代社会では、少しでも効率よく情報を得たいものです。
 
それでも
効率や結果を優先することが行き過ぎてしまうと
ただただ時間を消費するばかりで、
心に深く刻まれることは逆に減っていくような気がします。
 
時間の長さは誰にも平等のはずですが
その時間をどのように使うのか、そしてどのように過ごすかによって
結構、人生が変わるような気がします。
 
忙しい現代だからこそ、オルタナティブとしての「時間の価値」があると感じます。
 
 
 
 
 
この写真は、南フランスのフレジュスというまちの広場でのひとときです。
 
詰め込むではなく、ゆったりと過ごす目的のない時間、
それは余白のある時間と言ってもよいでしょう。
 
決して無駄な時間ではなく、豊かな時間。
 
慌ただしく、不穏な日々が続く中でも、
少しでも穏やかに、そしてゆったりと過ごせる、
そんな豊かな時間と場を大切にデザインしていきたいと思います。
 
本年もよろしくお願いします。
 
 

魁講座@徳山高校

母校の高校にて、進路選択に生かすための職業人講座を行いました。
建築家がどんなことを考え、その考えを形や空間にしていくのか、
その他、仕事の難しさややりがいなどをお話ししました。
 
 

 

講座で紹介した整形外科です。
 
この病院では患者にとってリラックスできる空間をつくることを目指し
周辺環境を味方につけることでそれを実現したことをお話ししました。
 
具体的には、道路の対面にある高校の土手の緑(写真左側)を借景に使い
待合室やリハビリ室から四季折々の緑の風景を感じられるようにしています。
 
 
 
 
 
待合室から土手の緑を見たところ
 
風景をより美しく見せるため、3mの高さにある庇で風景を切り取り
窓枠や柱をできるだけ省いて風景の邪魔にならないようにしています。
 
 
 
 
 
 
柱を省略するためにトラス構造の梁(黄色の破線部分)を使い
柱を支える間隔を通常の2倍以上広げるなど
構造の工夫によって実現したことなどもお話ししました。
 
 
 
 
 
 
城ケ丘の家では、
敷地の制約を逆手にとって居心地のよい環境をつくるための
様々な工夫についてお話ししました。
 
 
 
 
 
 
 
こちらは敷地回りの配置図です。(灰色部分が敷地)
 
隣地の建物や間口の広い道路からのプライバシーが確保しにくい状況で
さらに、敷地形状が不整形で扱いにくいという制約もありました。
 
 
 
 
 
 
一方で、設計で目指したのは
上の写真のように開放感のある室内と庭が一体につながる
日本の伝統的な居住空間が持つ心地よさです。
 
一見、相矛盾するようなテーマですが
それを実現するために2つの建築を参考にしています。
 
 
 
 
 
 
プライバシー確保のためにヒントにしたのが中庭空間です。
スペインのアンダルシア地方には真夏の日差しを遮るために
家を囲い込み、中庭と室内を一体で暮らす伝統的な住居があります。
 
私もセビリアの町で実際に泊まったことがありますが
家の中と外の境界が曖昧につながった心地よさを実感しました。
 
今回は、この中庭を日差しの代わりに視線を遮ることに利用しています。
 
 
 
 
 
 
もう一つ、不整形な敷地への対応では
ブルガリアの山深くに建つリラの僧院を参考にしています。
 
 
 
 
 
 
リラの僧院を平面図で見ると真ん中に礼拝堂(黒い建物)があり
そのまわりを修道僧の宿所が取り囲むように建っています。
しかも、宿舎はかなり角度を振った形になっています。
 
その間には不整形の中庭が存在し
実際にその場に立ってみるととても動きがあり
場所ごとに見え方が変わるとても魅力的な空間でした。
 
 
 
 
 
 
 
2つの建築をヒントに
不整形な中庭という形式で家を配置したのがこの図です。
 
隣地の建物に対し
「くの字」型の母屋(白い部分)を敷地形状に合わせて置き
道路側にも離れ(茶色の部分)を配置して視線を制御しています。
 
ただし、日本の夏の湿度を考慮して完全な中庭にはせず
2箇所ほど切り離すことで風通しも確保しています。
 
 
 
 
 
 
道路側から見た外観です。
 
白い母屋と茶色の離れの間には植栽を生垣状に植えて
外からの視線を制御し、風通しは確保しています。
 
さらに周辺に対して緑の潤いも提供するという
一石三鳥の役割をこの植栽に託しています。
 
 
 
 
 
 
中庭空間は不整形で動きがあり、とても風通しがよいのです。
夏場は母屋と離れの間にオーニングを渡すことで快適に過ごせます。
 
 
 
 
 
 
室内から見たところ
 
中庭にはウッドデッキを敷き、開口部を大きくとって
室内と庭とが一体でつながる開放感のある空間を実現しました。
 
差し込む朝日は季節ごとに角度が変わり
四季折々の変化を感じられる居心地のよい空間です。
 
このように敷地の制約も積極的に受け入れながら工夫を凝らすことで
標準的な敷地以上に個性的で心地よい住まいができるのです。
 
設計では実現できること、できないことがそれぞれあります。
 
それでも、様々な工夫を重ねることによって
そこに暮らす人が人間らしく、生き生きと過ごせる空間をつくること、
それが何より重要であることを学生たちに伝えました。
 
 
 

中庭と緑

城ケ丘の家、中庭と緑
 
完成からまもなく9年、
道路沿いに植えた木々も成長し、どことなく南国の風情です。
 
完成当初から使っていた日よけのシェードが破損したので
先日新しいものに取り替えました。
 
まだまだ蒸し暑い日が続きますが
この日よけシェードのおかげで
真夏の強い日差しがカモフラージュされ
中庭の気温上昇を抑えるのに貢献してくれました。
 
この家にとって貴重な余白を与えてくれる中庭と木々の緑、
夏の間も心を豊かにしてくれる貴重な時間と空間です。
 
 
 

三宅一生さん逝く

デザイナーの三宅一生さんがお亡くなりになりました。

私は東京のK計画事務所での修行時代ご縁があり
三宅さんの会社が入居する事務所ビルを設計の際に
担当者として何度かお目にかかりました。
 
その中で、今でも心に刻まれているエピソードがあります。
 
設計の打合せで伺った三宅さんの事務所の会議室で
天井に埋め込まれたエアコンを指差して一言、
 
「なんでエアコンは天井についているんですか?」と。
 
エアコンの生暖かい風が頭の上から当たるので
集中して物事を考えるのによろしくない。
空調は人間が心地よく仕事ができるように設計されるべきではないか、と。
 
正直に言えば
三宅さんに指摘されるまで、そんなことを考えたこともありませんでした。
 
事務所ビルのエアコンは天井に埋め込まれているのが一般的で
それまで、その常識を疑うことも、気づくこともありませんでした。
 
しかし、
建築は本来、人間が心地よく過ごす場所であるはずです。
その本質から考えれば
確かにエアコンを天井につけるのは正解とは言えません。
 
もちろん、理想的な空調を実現するには
床暖房や床吹き出しなど、よりコストがかかる方法が必要なため
経済性を求められる建物では難しいかもしれません。
 
それはそうだとしても
人間にとってなにが大事なのか、ということからものづくりを考えること、
それを当たり前に実践されている三宅さんの哲学に触れたような気がしました。
 
ほかにも
現場で作業していた鉄筋工のニッカポッカ(裾広がりのズボン)を見て
その独特の形状を「とてもいいね〜」と感心したり。
 
別の機会には
ヘルメットのインナー用の紙帽子に興味を示したり。
 
とにかく
先入観にとらわれない眼差しにはとても刺激を受けました。
 
常識ではなく、人間にとっての本質からものを考えること。
 
先入観にとらわれず、純粋な感覚で感じ取ること。
 
これらは、今でも物事を考える起点になっています。
 
自分がデザインという仕事に向き合う上で
とても大切な気づきを与えてくれた三宅さん、
ただただ感謝です。
 
 
 

皆川明の展覧会 「つづく」

GW前の4月23日から皆川明の展覧会が福岡市美術館で開催されています。
ちょうど臼杵の家へ行った帰りに、見学してきました。
 
 
 
 
 
 
会場には、これまでにデザインした400着以上の服が並んでいます。
 
服の形はとてもオーソドックスですが
生地や柄、色合いなどはどれ一つ同じものはなく
その創作に込めたのエネルギーにため息が出ます。
 
 
 
 
 
 
定番のタンバリン
 
一見、何気ない柄に見えますが
それぞれの輪は正円ではなく、あえて微妙な歪みをもたせ
さらに細部にもこだわり抜いています。
 
 
 
 
 
 
このメモにもあるように
刺しゅうはあえてラフに、でもジンタン(丸い粒)は重ならないように
明確な意志をもってイメージを方向づけています。
 
 
 
 
 
 
この三つ葉では刺しゅうによる輪郭線が一定ではなく
毛羽立ちの具合をあえてランダムに、ラフに表現しています。
 
 
 
 
 
 
こちらの生地は、遠目にはわからないのですが
近づいてみると色違いの糸を無数に織り込んでいることがわかります。
 
そこには、人の心を動かすほどの濃密な表現が込められていました。
 
 
 
 
 
 
うさぎをモチーフにしたこちらのパターン
 
白地にブルーのうさぎを配したそのパターンはシンプルですが
ブルーの色は水彩画のような微妙な濃淡があり
人の手でしか得られない不均質な温かみが現れています。
 
それは、まるで陶器の表情に通づるようです。
 
絵付における形の揺らぎや色のにじみ、かすれやムラなど
人の手でしか生み出すことのできない、唯一無二の味わいがあります。
 
 
 
 
 
 
なかにはこんな挑戦的な服も
 
知らない人が見れば、ぼろに間違われそうですが
意図的に生地を破いているようなデザインです。
 
表地はくすんだ色なのに、
破れたところから覗くスカイブルーの鮮やかな色がとてもスリリングで
ギリギリのバランスを取っているようにも感じます。
 
 
 
 
 
 
一着一着に渾身の思いを込めて生み出されたこれらの服たち
 
皆川さんが自身のブランドを立ち上げた頃、
巷にあふれていたのはDCブランドの刺激的な服たち。
それは、バブル時代の熱狂を象徴するような消費される一過性の存在でした。
 
奇抜さや派手さばかりを競い合うようなそれらの服に対し
「特別な日常の服」にこだわって作られてきたこれらの服は
使い捨てではない、着る人一人一人の記憶を刻みながら
服とともに紡がれる時間を経て、その人にとっての愛着となっていきます。
 
このことは、建築という異なるフィールドにいる自分にとっても
バブル時代をリアルタイムで通過してきた同時代人として
とても共通する感覚を覚えます。
 
バフルの頃は、まさに建築は使い捨ての極致にありました。
とても大きな存在であるはずなのに、
非常にはかない、薄っぺらいものになっていました。
 
本来、建築は服以上に長い時間を生きるはずの存在です。
そこで日々積み重なる時間が暮らす人や家族にとって
かけがえのない時間となり、それがいつか愛着となるように。
 
皆川さんのものづくりを通して
改めてその思いを確認することのできた貴重な機会です。