早く作ったものは長持ちするか?

前回、明治神宮内苑につくられた人工の杜についての話をしました。
もともと荒地だった場所に150年後に自然循環する杜をめざして計画され
見事に実現した姿を今に示していました。
 
現在、神宮外苑では再開発の計画が進められています。
 
三井不動産が公表した外苑地区再開発のイメージ
 
現在ある神宮球場や秩父宮ラグビー場を建替え、
新たに商業施設やオフィス、ホテルなどの高層ビルも計画されています。
 
再開発に伴い、
約900本の既存樹木が伐採され植え替えられるとのことで
樹齢100年以上の樹木などの景観が失われることに対して
一部には計画内容に反対や批判の声が上がっているようです。
 
既存樹木は伐採されるだけでなく、新たに植樹もされるようですが
その植樹は必ずしも土地の植生や土壌に合わないとの指摘もあります。
 
建物の大規模化による緑との景観上のバランスも懸念されるところで
将来に禍根を残さないかが気になるところです。
 
 明治神宮内苑で生み出された150年後を見据えた杜づくりと
経済利益優先にも見える神宮外苑の再開発の動き。
果たして、どちらが未来に渡って長く愛されるのでしょうか?
 
建築にはその時代の人々にとっての役割があり、
当然ながら、それに応えることが求められます。
 
一方で、目先の役割や事業の収支だけでなく、
時代を超えて長く愛され続けることも建築の重要な役目です。
 
 
「早く作ったものは長持ちするか?」
 
 
いつも考え続けている私の問いです。
 
長く、愛着が感じられる場は一朝一夕には生まれないのではないか?
焦らずに時間をかけて丁寧に丁寧に吟味しながらつくったものでしか
生まれないものがあるのではないか?
 
150年後を見据えた神宮の杜の営みを見るにつけ、そのことを思います。
 
翻って
我々が日々携わる建築の仕事でも、そのことはちゃんと意識されているでしょうか?
安く、早くという人間の都合が加速度的に高まる現代だからこそ
使い捨てでなく、愛着を感じて暮らせる場をつくることの大切さを感じます。
 
 

人がつくった聖域2

空に向かって伸びる常緑広葉樹と落葉広葉樹
 
明治神宮の参道
その参道を包み込むように大樹が広がっています。
 
太古の昔から存在する原生林のような迫力がありますが
実は、この杜は大正時代に人の手によって生み出されたものです。
 
 
 
 
 
参道沿いの案内書きによると
ここは江戸時代には加藤家と井伊家の庭園があった場所で
明治時代に皇室の料地になりました。
 
しかし、その後、明治の終わりには荒地となっていましたが
明治神宮の造営にあたり、豊かな杜をつくることが計画されたのです。
 
計画を担った本多静六、本郷高徳、上原敬二らの専門家は
人の手によらない「永遠の杜」を実現することをめざしました。
 
それは、
成長の早い針葉樹がまず育ち、その後は徐々に広葉樹に置き換わり
150年かけて人の手を離れて自然に循環していくという
自然の摂理を尊重した遠大な計画でした。
 
全国から10万本の樹木が奉納され、
植林や参道づくりにはのべ11万人の青年が勤労奉仕を行ったそうです。
(以上、明治神宮の公式サイト、およびNHKスペシャルより)
 
 
 
 
 
現在の参道脇には、朽ち果てた倒木の脇から新芽が芽吹いており
確かに自然の循環が行われていることがわかります。
 
環境問題への関心が高まる中、
目先の成果だけにとらわれず、時間がかかっても自然の持続性を尊重する
この神宮の杜の営みは多くの示唆を与えてくれます。
 
 
 
 
 
早朝の参道では、「はきやさん」とよばれる職人が
長い柄のほうきを巧みに使って、参道をきれいにしていました。
 
ここで集められた落ち葉は、再び杜に返されて
杜の循環に生かされるのです。
 
100年の時を経て、人の手を離れて循環し始めた杜は、
わずかに人の手を借りながら自然のもつ豊かさを持続させていきます。
 
自分が目にすることのできない150年後の計画をつくった専門家たち、
そして樹木を奉納し、労働を捧げた、たくさんの人々。
 
そこにうかがえる「利他のこころ」が
この聖域の精神性にあらわれているような気がしてなりません。
 
 
 

人がつくった聖域

4月に訪れた明治神宮
 
若い頃からなぜか神社や寺院に惹かれ、
仕事で休みが取れると、よく京都や奈良に出かけていました。
 
特に古いから好きというわけでもないのですが
俗世間にはない聖なる場所のもつ精神性に惹かれたのでしょう。
海外でも教会やモスクへはよく足を運び、同様の感覚を覚えてきました。
 
明治神宮は今回が初めての参拝で、自然とこころが引き締まります。
原宿駅側の入口からちょうど工事中だった鳥居の脇道を抜けて
見えてきたのがこの南参道です。
 
原宿の賑やかなまち並みからわずか数分足らずでこの景色に一変、
早朝の境内は空気が澄みわたり、まさに聖なる世界へタイムスリップ。
 
おおらかにのびる参道は真っ直ぐではなく、ゆったりとカーブを描き
途中にある橋へ向かってゆるやかに下り、そこからまた上っていきます。
両側には参道を覆うように大きな樹々が空間を包み込んでいます。
 
ここには人工的なものはほとんど見当たりません。
あるのはただただ広々とした道と樹々と空だけ。
 
なのに、とても品があって、こころが静かに洗われていくようです。
 
 明治神宮は、大正9年(1920年)に人の手によってつくられた
比較的新しい神社です。
 
しかし、それはむしろ「人の手」というより
「人のこころ」によって生み出されたものなのかもしれません。
 
人がつくったこの聖域は、いかなる思いで生み出されたのか
次回、改めて探ってみたいと思います。
 
 
 
 
 

宇部の家 内装デザイン検討

宇部の家のリノベーション計画、内装デザインの検討中です。
 
既存LDKの天井を取り払い、小屋梁を露出した状態をパースでチェック。
 
天井裏の詳細はまだ正確につかめないので
ひとまずわかる範囲で小屋組を入れて雰囲気をチェックしていきます。
 
この図はキッチンからダイニングを通してリビング方向を見たところ。
その先のプレイルームを抜けて中庭のウッドデッキまで視線が延びていきます。
 
 
 
 
 
リビングからキッチンを見返した図
 
既存のキッチンを大幅にリニューアル、
耐震壁を考慮しつつ、屋外の畑や木々へ視線が抜けるよう
吊戸棚はあえて割愛し、新たに大きな窓を設けています。
 
キッチンやリビングに必要な備品、子供のワークスペースなど
必要な機能や収納スペースを建主と検討しながらアレンジしていきます。
 
 
 
 
 
 
既存の和室と中庭
 
リビングに隣接する和室(画像奥の部屋)は間仕切りを取り去り
プレイルーム的なスペースへ変換。
 
二間続きだった手前の和室はそのまま残し、
内縁から続く中庭にウッドデッキをめぐらして
和室からの広がりと中庭周りの部屋との回遊性を高める計画です。
 
リノベーションでは予算の制約が大きい場合が多いのですが
それに反するように、改善したいことは沢山あります。
 
 
ご要望が増えれば、その分予算とのギャップが大きくなるため
工事範囲やデザインとコストのバランスを図るのは結構大変です。
 
建主にはその点をご理解いただきながら
打合せを何度も重ねて、ご要望を形にしながら落としどころを探っていきます。
 
 

交流広がる

昨年完成した臼杵の家について
お施主さんのインスタに隣接する広場でのイベントが紹介されています。
 
敷地は臼杵の古いまち並みが残る落ち着いた住宅街にあり
コミュニティ意識の高い地域の広場に面しています。
 
設計を通じて、広場との関係についてお施主さんと様々な意見を交わし
広場とのつながりを大切にすることを共有しました。
 
敷地境界の処理をどうするか、色々な案を検討しましたが
最終的にはあえて塀やフェンスで仕切ることはせず、
イベントなどが行われる際は、敷地も建物も一体で使えるように計画しました。
 
自宅の一角には、その後、ご主人のつくるお菓子を提供するお店が開店。
この家から少しずつ、地域との交流が生まれています。
 
これからもこの家と広場を起点に
地域との交流が広がっていくことを期待しています。
 
 
 

宇部の家 新計画案

昨年から進めてきた宇部の家のリノベーション計画
 
当初は上の模型の左端の南向きの部屋をリノベーションして
セカンドリビングにする計画でした。
 
その後、建主が住まい方を再考され
右端にある既存のリビングを本格的にリノベーションすることになり
改めて計画を練り直し、打合せを重ねてきました。
 
最大の課題は、LDK以外にある6部屋とのつながりがなく
部屋数の割に広さと家族の一体感が感じられないことでした。
 
 
とはいえ、元々の間取りのかたちの制約もあって
LDKとその他の部屋をつないで一体感を出すのに苦戦しましたが
何度も案を練り直し、建主も粘り強く検討していただいたおかげで
今回、ようやくプランの方向性が固まりました。
 
 
 
 
 
 
 
建物の北東端にあるリビングと隣接する部屋たちは
間仕切位置を調整することで視線の抜けをつくり
視覚的なつながりを生み出します。
 
また、既存の天井を取り払い、大屋根で各部屋を空間的につないで
部屋同士の一体感をさらに高めていきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
基本的な間取りはほとんどそのままですが
開口部や間仕切の位置を調整することによって
各部屋のつながりや屋外への広がりを生み出します。
 
 
 
 
 
 
 
キッチンからリビング南側を見たところ
 
リビングの南側には薪ストーブを部屋のシンボルとして設置し
その向こうの植栽、さらにその先の庭へと視線が抜けていきます。
 
薪ストーブの右斜め方向は、南端のウッドデッキまで視線が伸び
どこにいても家族のつながりが感じられる住まいになりそうです。
 
プランがまとまってきたので
これから詳細のデザインをさらに詰めていく予定です。
 
 

皆川明の展覧会 「つづく」

GW前の4月23日から皆川明の展覧会が福岡市美術館で開催されています。
ちょうど臼杵の家へ行った帰りに、見学してきました。
 
 
 
 
 
 
会場には、これまでにデザインした400着以上の服が並んでいます。
 
服の形はとてもオーソドックスですが
生地や柄、色合いなどはどれ一つ同じものはなく
その創作に込めたのエネルギーにため息が出ます。
 
 
 
 
 
 
定番のタンバリン
 
一見、何気ない柄に見えますが
それぞれの輪は正円ではなく、あえて微妙な歪みをもたせ
さらに細部にもこだわり抜いています。
 
 
 
 
 
 
このメモにもあるように
刺しゅうはあえてラフに、でもジンタン(丸い粒)は重ならないように
明確な意志をもってイメージを方向づけています。
 
 
 
 
 
 
この三つ葉では刺しゅうによる輪郭線が一定ではなく
毛羽立ちの具合をあえてランダムに、ラフに表現しています。
 
 
 
 
 
 
こちらの生地は、遠目にはわからないのですが
近づいてみると色違いの糸を無数に織り込んでいることがわかります。
 
そこには、人の心を動かすほどの濃密な表現が込められていました。
 
 
 
 
 
 
うさぎをモチーフにしたこちらのパターン
 
白地にブルーのうさぎを配したそのパターンはシンプルですが
ブルーの色は水彩画のような微妙な濃淡があり
人の手でしか得られない不均質な温かみが現れています。
 
それは、まるで陶器の表情に通づるようです。
 
絵付における形の揺らぎや色のにじみ、かすれやムラなど
人の手でしか生み出すことのできない、唯一無二の味わいがあります。
 
 
 
 
 
 
なかにはこんな挑戦的な服も
 
知らない人が見れば、ぼろに間違われそうですが
意図的に生地を破いているようなデザインです。
 
表地はくすんだ色なのに、
破れたところから覗くスカイブルーの鮮やかな色がとてもスリリングで
ギリギリのバランスを取っているようにも感じます。
 
 
 
 
 
 
一着一着に渾身の思いを込めて生み出されたこれらの服たち
 
皆川さんが自身のブランドを立ち上げた頃、
巷にあふれていたのはDCブランドの刺激的な服たち。
それは、バブル時代の熱狂を象徴するような消費される一過性の存在でした。
 
奇抜さや派手さばかりを競い合うようなそれらの服に対し
「特別な日常の服」にこだわって作られてきたこれらの服は
使い捨てではない、着る人一人一人の記憶を刻みながら
服とともに紡がれる時間を経て、その人にとっての愛着となっていきます。
 
このことは、建築という異なるフィールドにいる自分にとっても
バブル時代をリアルタイムで通過してきた同時代人として
とても共通する感覚を覚えます。
 
バフルの頃は、まさに建築は使い捨ての極致にありました。
とても大きな存在であるはずなのに、
非常にはかない、薄っぺらいものになっていました。
 
本来、建築は服以上に長い時間を生きるはずの存在です。
そこで日々積み重なる時間が暮らす人や家族にとって
かけがえのない時間となり、それがいつか愛着となるように。
 
皆川さんのものづくりを通して
改めてその思いを確認することのできた貴重な機会です。
 
 
 

works に臼杵の家と大神の家2をUPしました。

ホームページのworks に臼杵の家と大神の家2をUPしました。

 
 
臼杵の家は、建主のつくる繊細なお菓子のように
簡素な素材と職人の丁寧な仕事で生み出された
穏やかな時間が流れる心地よい住まいです。
 
 
 
 
 
 
大神の家2は家の機能をあまり限定せず、
家族4人が家のあらゆる場所をその時々の気分に応じて
のびのびと使えるような自由で開放的な住まいです。
 
それぞれの個性を持ったこれらの家で
日々のくらしが積み重なり、愛着が醸成されることを期待しています。
 
 
 
 

臼杵の家 訪問

臼杵の家が完成して半年が経ちました。
植栽の新芽も芽吹き始めたところで、写真撮影も兼ねて伺いました。
 
 
 
 
 
 
 
水平線を強調した建物に樹木が加わり、少しずつ風景が育ち始めています。
 
 
 
 
 
 
5年もすれば樹木が成長し、地域に溶け込む風景になりそうです。
 
 
 
 
 
 
室内もカフェとしての設えが整い、さらに雰囲気が出てきました。
 
 
 
 
 
 
水平スリット窓越しの風景
樹木の緑が加わり、こちらも潤いが増しています。
 
 
 
 
 
 
建具を全開放した中庭
板壁を背景にしたこの場所も静かな美しさが現れています。
 
建主のこだわりによって建築の味わいにさらに深みが加わり
この場所で過ごす時間が豊かに進化していくことを期待しています。
 
 

丸の内仲通りアーバンテラス

丸の内仲通り
東京駅前の行幸通りから有楽町までつづく850mほどの区間で
道路を歩行者空間として活用するモデル事業が行われています。
 
 
 
 
 
 
 
沿道にはプランターなどの植栽で空間に潤いが与えられています。
 
 
 
 
 
 
歩行者空間には欠かせないベンチも常備されています。
 
 
 
 
 
 
事業では、日中は道路を歩行者空間にすることで
歩行者にとってゆとりのある空間を提供しています。
 
 
 
 
 
 
また、単なる移動空間だけでなく滞留できる「テラス」と捉え
ゆったりと過ごせる場をめざしています。
 
以下のようなコンセプトが謳われています。
 
「地中海沿いの都市では
 街の通りは、応接間であり、会議室であり、
 そして劇場であるといいます。 
 (中略)
 近年の研究によれば、歩いてたのしい
 通りのある街の人々の幸福度は
 そうでない街に比べて総じて高いそうです。」
 
私もイタリアや南フランスなどを実際に歩いてきた経験から
そのことをとても強く実感しています。
(詳しくは、このブログの「週末連載〜南フランス」にてレポートしています)
 
まちのなかにある広場や道路などの公共空間の質の高さが
まちの豊かさに決定的な影響を与えているのです。
 
ヨーロッパでは1960年代に車社会の弊害を自覚し
50年かけて人間中心のまちを回復する取組みが行われてきました。
その結果、上記のコンセプトのように生き生きとした空間が復活しているのです。
 
その動きは、21世紀に入り
ニューヨークやメルボルンなどでも実践が進んでいます。
 
そして、東京の中心でも
遅まきながらとはいえ、実践活動がはじまったことは
とても喜ばしいことです。
 
 
 
 
 
視察した4月1日は肌寒い気候だったこともあり
昼下がりの通りを歩く人はそれほど多くはなかったものの
テーブルやイスが配され、キッチンカーなども出店して
通りのアメニティに貢献していました。
 
ちなみに、
歩行者空間は日中の一定時間のみなので
イスやテーブルは、誰かが片付けていることになります。
しかも、毎日欠かさず!
 
 
 
 
 
こちらにはエスニックのキッチンカー
 
すでに昼食を済ましたあとでしたが
バインミー、食べてみたかった・・・、残念
 
 
 
 
 
 
もちろん、
くつろぎに欠かせないコーヒーのキッチンカーも常設です。
 
 
 
 
 
 
 
通りに面したオープンカフェもありました。
室内から賑わいや活動が染み出すこのようなお店は
通りの居心地を高めるために欠かせないものです。
 
 
 
 
 
 
建物の1階部分には
通りに浸みだすように開放的なお店も幾つか見られます。
 
ベンチやイスにキッチンカー、潤いを与える緑など
様々な設えが工夫されていますが、
それだけではまだパーフェクトとは言えません。
 
沿道沿いの建物の1階部分が通りとつながり
多様な種類のお店が通りと一体になって
連続的につながって空間を作り出すことが重要なのです。
 
その意味では、建物側の対応がまだまだ消極的ですが
今後、この部分をブラッシュアップして
さらに豊かな通りをめざしてほしいと思います。
 
 
 
 
 
 
丸の内仲通りを抜けて日比谷シャンテ(写真左奥)の前へ。
 
日比谷シャンテのビルの角は円形に切り取られ
さらに上層に向かってセットバックすることで通りにゆとりを与えています。
 
建物の形に呼応するように道も直線ではなく緩やかに曲がり
そこにできた余白の空間にポストや植栽、ベンチなど
通りを生き生きさせるストリートファーニチャーが設えてあります。
 
 
 
 
 
 
日比谷シャンテ前から帝国ホテルへ抜ける道
 
通り自体は直線ですが
波打つような曲線上に植栽とベンチが配されて
まるで曲がりくねる道のように演出されています。
 
仲通りに続いて
ここにもゆったりを歩くことのできる歩行者空間の実践が見られます。
 
まだまだ、始まったばかりの歩行者空間の実践ですが
これからも着実に結果を積み重ねて
時代にふさわしい人間中心の豊かな通りが広がることを期待しています。