奥ゆかしさについて

再び、4月に訪れた明治神宮の話に戻ります。

原宿駅前の一の鳥居からつづく南参道
およそ500mの長い長い参道を歩いて行きますが
この時点でその先の鳥居や本殿は全く見えません。
 
原宿のまちの喧騒は、この距離を歩く時間とともに
神聖な気持ちへと整えられていきます。
 
この長い参道は神様に対面するための
心の準備をするための空間と言えるのかもしれません。
 
 
 
 
 
長い参道の先にようやく見えてきた二の鳥居
 
 
この鳥居は日本最大のものでとても象徴的な存在なのに
その存在を大げさに主張するような位置に置かれていません。
わざわざ、南参道からは見えないように建てられているのです。
 
 
 
 
 
鳥居の高さ12m、幅17.1m、柱の直径は1.2m
(明治神宮公式サイトより)
 
本当に堂々とした鳥居です。
でも、その先にはまた森のみ、本殿は見えません。
 
あえて見えなくすることによって、
奥へ奥へと人の心をいざなっていくようです。
 
ここにはただただ鳥居だけが存在するのみで
本殿へ向かっていることをさりげなく暗示しています。
 
堂々としているのに誇張するでもなく、
その先の本殿への入口であることだけをさりげなく示す
最高にデザインされたサインのように私には感じられます。
 
 
 
 
 
朝日を受けて、鳥居のシルエットがさらに大きな影となって
参道に映り込みます。
 
見渡すかぎりあたりは森と空ばかり
そこに刻まれた鳥居の影
 
人工物なのに実体がない虚ろな存在ながら
明快なシルエットは自然との対比を成していて
もはやランドアートのような域に達しています。
 
 
 
 
 
鳥居を抜けるとその先は突き当たり、
そこで右に曲がるといよいよ本殿前の鳥居が見ててきます。
 
距離や時間、そして視線の変化や気配などを巧みに使って
実体以上の奥行き感が生み出されているのです。
 
奥へ奥へと誘うことで生まれる神という存在の崇高さが
最高の「奥ゆかしい」デザインで表現されています。