KATACHI museum

内田鋼一さんプロデュースによるKATACHI museum
 
数々の商業施設でにぎわう敷地の中で
ここだけヨーロッパの片田舎の風景のような
静かで素朴な雰囲気をもつ外観が印象的です。
 
 
 
 
 
 
 
その外観をまとっているのがこの土壁です。
 
少し粗めに仕上げられた壁は、
時間の経過による風化が強く現れそうな質感です。
 
 
 
 
 
 
 
建物の妻側に設けられた小さな穴が入口です。
なにか、蔵に入っていくようなイメージを連想します。
 
 
 
 
 
 
穴に踏み込むと、右側に入口が現れます。
入口は木製の引戸で、扉それ自体が骨董品でできています。
 
 
 
 
 
 
 
受付を抜けて室内に入ってきたところ
ワンルームの室内全体に古い道具たちがちりばめられています。
 
これらは内田さんが世界各国を巡って集めてきたものたちで
すべて生活雑器ですが、機能を超えた芸術性があふれています。
 
次回は、これらの道具たちの魅力に迫ってみたいと思います。
 
 
 

日本最大の商業リゾートVISONへ

三重県和気町に7月20日オープンした商業リゾートVISON

敷地面積119ha、東京ドーム24個分という広大な敷地に
「癒・食・知」を軸にさまざまな体験が楽しめる施設が展開しています。
 
右手前に見える建物は日本最大級の産直市場、マルシェヴィソン
伊勢志摩や松阪の食材が食べられるバーベキューコーナーもあり
芝生の斜面は子供たちの格好の遊び場になっています。
 
 
 
 
 
 
建物は幾つかのゾーンに分かれて点在しています。
 
こちらはスウィーツヴィレッジといわれるゾーンにある
パティシエの辻口博啓氏が手がけるペーカリーカフェ
 
 
 
 
 
 
シンプルな切妻屋根の室内は天井の高いおおらかな空間
朝から続々とお客さんが訪れています。
 
 
 
 
 
 
こちらはサンセバスチャン通りと言われるエリア
 
スペインのサンセバスチャン市と連携したバルなどがあるとのことで
建物は軒下空間を持つ杉板張りの日本的なデザインです。
 
長屋状の建物にはD&DEPARTMENTやミナペルホネン、くるみの木など
知る人ぞ知るこだわりのお店が軒を並べています。
 
 
 
 
 
 
壁一面、土壁で仕上げられたKATACHI museum
陶芸家の内田鋼一さんがプロデュースしたミュージアムです。
 
内田さんには、この施設の構想時からお話を聞いていたので
せっかくの機会と思い、長野から足を伸ばしてやってきました。
 
商業施設でゆったりと楽しい時間を過ごすとともに
文化に触れることのできる貴重な施設でもあります。
 
 
 
 

御城番屋敷@松阪

旧松阪城内に残る御城番屋敷
 
まっすぐに延びる石畳の道、
両側には同じ高さで刈り揃えられた生垣が植えられています。
 
生垣の奥には江戸末期に建てられた藩士の組屋敷があり
現在でも、その子孫などが生活を営んでいるそうです。
 
個性的な形と長さを持つ生垣は、道と屋敷の公私を区切り
その高さ(約1.7m)によって屋敷のプライバシーを守るとともに
整然とした秩序と緑の潤いによって独自の景観美を生み出しています。
 
 
 
 
 
 
松阪城から見た御城番屋敷
 
長さ十二間半(約23m)の長屋が道を挟んで平行に建っていて
ここだけ江戸時代の秩序あるまち並みが残っています。
 
 
 
 
 
 
番屋敷と道路の間には端から端まで生垣が植えられて
建物・生垣と道路がワンセットになった空間が形成されています。
 
 
 
 
 
 
生垣には所々にスリットがあり
これがそれぞれの屋敷に入る入口になっています。
 
 
 
 
 
 
入口を正面から見たところ
 
生垣は道と屋敷を仕切るだけでなく
入口の門のような役割にもなっています。
 
 
 
 
 
 
 
番屋敷の特徴である生垣は、周辺の家々にも生かされており
このあたり一帯、整った緑の景観が連続して
歩いていてもとても気持ちのいい通りです。
 
 
 
 
 
 
こちらは生垣ではないですが
鉢植えの緑が道路一面に置かれています。
 
樹木や植栽は常に手入れが必要で
忙しい現代ではとかく敬遠されがちですが
手をかけてあげれば、家も引き立ち、まちにも潤いを与えてくれます。
 
潤いとともに、手間をかけることで自身の心も整えてくれる
緑のある暮らしがもつ効用を実感させてくれる
そんな松阪のまち並みです。
 
 
 

ヘリテージマネージャー養成講座@石城神社

三次元にうねる屋根
ヘリテージマネージャー養成講座で石城神社の改修工事を視察しました。
 
入母屋と切妻を組合わせた屋根は非常に複雑な三次曲面です。
 
この神社が建てられたのは室町時代、
当然ながらコンピューターもCADもありません。
 
近代化する前の日本人の造形感覚とともに
いかに柔軟に建物を作り上げていたのかと、驚嘆してしまいます。
 
 
 
 
 
 
改修前の屋根の写真
前回の修理は昭和59年で、それから38年が経過、
木材でできた屋根は随分と傷んでいることがわかります。
 
 
 
 
 
 
右が傷んだ屋根の断片。
長さ30センチの板を重ね合わせていますが
外部に面した部分が朽ちています。
 
左は新しく作った屋根のサンプル
帯状の銅板を積層する板の途中に1mごとに挟み込み
雨で流れ出す緑青によって防虫効果をもたせているそうです。
 
 
 
 
 
局面部の先端
幅10センチほどのこけら板を巧みに重ねて仕上げています。
 
 
 
 
 
こけら板の表面には筋状の細かい凹凸があります。
これは、厚板を鉈(なた)で割って3ミリにスライスする際に
自然にできた凹凸です。
 
あえてこの凹凸を残すことで重ねた部分に細かい隙間をつくり
雨で濡れた板が乾燥しやすいようにしているのです。
 
 
 
 
 
仕上がった屋根をよく見ると完全な真っ平らではなく
あちらこちらで微妙に波打っていたりします。
 
この揺らぎがむしろ表情となって、真っ平らにつくるより
下から見上げた時の味わいになっているのだと感じます。
 
昔の人は自然の摂理を受け入れながらも創意工夫を重ねることで
現代の科学以上に自然を巧みに利用した建築を生み出してきたのだと
改めて学ぶことの多い機会になりました。
 
 

隠し味@伊勢神宮

伊勢神宮、宇治橋から見た五十鈴川
 
世俗の世界から橋を渡って神域に入るこの場所は
とても重要な入口であり、象徴的な移動空間です。
 
橋を渡るときに
左手の方からひときわ川音がよく聞こえる場所があります。
 
そこには川幅いっぱいにわずかな段差が存在しており
段差部分の川底には自然石が敷き詰められていて
流れる川音がよく響くのです。
 
 
 
 
 
 
 
上から見た宇治橋と五十鈴川(Google Mapsより)
 
宇治橋の左側に、橋と平行するような直線上の段差は
この部分が人為的に造られたことを示しています。
 
神域に入ることを橋を渡る行為によって意識させ
さらに音による効果でそれを強調しているかのようです。
 
 
 
 
 
 
宇治橋(写真上の丸印)を渡りきると参道は右に折れ
そこからしばらくまっすぐな道が続きます。
 
300mほど進んだところで再び五十鈴川が現れ
石畳を下ったところで御手洗場に至ります。(写真下丸印)
 
 
 
 
 
 
徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したと言われる石畳を下りていくと
川で直接身を清めることができます。
 
よく見ると川の向こう岸に洲ができていて
自然と御手洗場に流れが向かうようになっているのがわかります。
 
なにげなく流れるこの川、
一見自然そのものに見えながらわずかに人の意思が重ねられ
さりげなく場の演出がなされているようです。
 
自然に敬意を払ながら
ほんの少し、まるで隠し味のようにそっと人為を注ぎ込む。
この空間をつくった日本人の微細な感性に心が揺さぶられます。
 
 
 
 
 
 

時代を超えるデザイン

 
ヘリテージマネージャー養成講座で下関の近代建築を視察しました。
この建物は1924年、旧逓信省下関電信局電話課庁舎として建てられ
現在は、下関市の施設として利活用されています。
 
列柱やアーチなど、西洋の様式が随所に見られますが
どことなく変なところがあります。
 
建物外周に並ぶ柱は本来その上の梁(横架材)を支える役目がありますが
この柱は建物の途中で止まってその上に支えるものがありません。
 
古典様式が持っているはずの構造の合理性から脱却し
建物を構成する要素を装飾としてコラージュしているのです。
 
そこには、明治維新を経て大正という新たな時代を迎えた
建築家たちの野心的な心意気が感じられます。
 
そう思ったら、なぜか隈研吾のM2を連想してしまいました。
 
 
 
 
 
 
隈さんがデザインしたM2も
都市の表層に現れるものたちをコラージュしたデザインです。
 
当時30代でデザインしたM2はとても野心的で
その分、見ようによっては見苦しくも感じられて
竣工当時はかなり酷評されました。
 
しかし、この下関の建物と照らし合わせてみると、
どちらも時代を超えていこうとする意欲がみなぎっていて
とても興味深いです。
 
 

善光寺にみるシークエンス

長野駅から1.5Km
旧北国街道との交差点から長野駅方向を見返したところ
 
善光寺平と呼ばれる長野盆地から緩やかな上り坂を歩き
ここからさらに400m、参道を進むと善光寺にたどり着きます。
 
 
 
 
 
 
(善光寺ホームページより)
 
善光寺境内周辺の案内図を見ると
本殿まで約400mほど参道が一直線につづき、
その途中に2つの門が並んでいます。
 
 
 
 
 
 
 
仁王門までの参道
 
西側(写真左)は大本願(尼僧寺院)の塀に覆われていますが
東側(写真右)は数々の宿坊が並び、参道沿いは豊かな緑に包まれて
風景にやわらかい印象を与えています。
 
 
 
 
 
 
仁王門まで近づくと門の向こうに山門が垣間見えます。
 
仁王門の手前と奥には大きな高低差が設けられており
仁王門を見上げるように配置されていることがわかります。
 
そして、この高低差を階段によって上らせることで
ここから新たな空間に変わることを意識させており
 門の存在とともに結界としてデザインされています。
 
ちなみに
階段を上るという行為は、重力に抗した行為なので
「何気なく」や「いつの間にか」ではなく
意識的で能動的な動きになります。
 
門をくぐるという行為とともに
段階を踏みながら徐々に本殿に向かっていくことを意識させ
それを参拝する人にしっかりと刻み込んでいきます。
 
 
 
 
 
 
 
仁王門越しに山門を見たところ
 
参道では本堂の方向に割り付けられ石畳が
門の部分では横方向に向きを変えて敷かれています。
 
参道を進む際には、本堂に導くように方向性を持たせ
門をくぐる際には、別の空間に至る入口であることを強調し
一旦立ち止まって敷居をまたぐような意識を持たせようとしています。
 
 
 
 
 
 
 
仁王門をくぐると両側の風景や空間性が一変します。
 
両側にみやげ物などを売る仲見世が連なり
店先には賑やかな表情がありますが
空間としてはなんとなく固く、閉鎖的に感じられます
 
低層の店が連続するこの空間は
それまでの空間より人工的で秩序が強くなって
正面性がさらに強調され、空間の密度も凝縮されたように感じます。
 
 
 
 
 
 
仲見世を通り抜けて山門が近づいてきました。
 
これが本堂ではないかと勘違いしそうなほど
圧倒的な大きさの立派な門です。
 
そして、ここでも山門は一段高い位置に配置され、
威厳のあるその存在感が強調されています。
 
 
 
 
 
 
山門を通過するといよいよ本堂にご対面、
長い参道を歩いてきた人は、ついにクライマックスを迎えます。
 
 
 
 
 
 
善光寺は建築としてのクオリティもさることながら
それと共に本殿までつづく参道のシークエンスがすばらしいことが
今回わかりました。
 
先日訪れた明治神宮は動線の軸を変えながら奥行きを作っていましたが
善光寺はそれとは対照的に参道は一直線上に続きながら
門をくぐるたびに、あたかもページをめくるように
シーンがどんどん展開していきます。
 
それを繰り返すことによって心理的な奥行きをつくり出し
本堂にたどりついた時に感動がひときわ増幅するように
アプローチがデザインされているのです。
 
神社と寺院、それぞれの演出方法の違いや共通点などがあり
移動を伴う空間デザインとして奥の深さを見ることができました。
 
 

古いのに新鮮

上田映劇から歩くこと7.8分
住宅や店舗などが混在するエリアにひっそりと建つ
ナチュラルワインとビストロ料理の店フィーカ
 
年季の入った建物はもとは自転車屋だったそうですが
時代が変化して周回遅れになった建物はむしろ個性的です。
 
この店は、風化した建物の外観にはほとんど手をつけずに
木々の緑を加えるだけでまち並みに生気を与えています。
 
 
 
 
 
 
2階の窓にもかなりの風化が見られます。
 
個性的な表情を見せる金属の手すりはよい具合に錆びており
小庇もモルタルが所々剥離していかにも侘びた姿です。 
 
ツルツルピカピカで正確に生産された工業製品にはない
アノニマスでありながらも確固たる個性が感じられます。
 
 
 
 
 
アプローチのモルタルもあるがままの表情をそのまま活用、
コストを逆手に取りながら、なかなか攻めたデザインです。
 
建物の古さや劣化、汚れなどをポジティブに受け入れ
そこに固有の価値を見出して味わいとして生かすやり口は
日本でも一つのスタイルとして浸透してきたように感じます。
 
古いのに新鮮な味わいが感じられるこのお店は
戦前戦後や現代までの建物が積み重なるように混在し
都会とは違うゆるやかな時間の流れを見せる上田のまち並みに
とてもしっくりはまっているように感じられます。
 
 
 

文化のバロメーター

時代を感じさせるデザインが印象的な上田映劇
 
 
 駅前通りから横筋に入り、
少しくたびれた路地を歩いたところにそれはあります。
 
見知らぬまちでいきなりタイムスリップしたかのような 
錯覚を覚えるほど、リアリティのある存在感です。
 
建物の古さから、閉館した映画館かと思いきや
壁に貼られたポスターを見ると、なんと現役で使われていました!
 
レンガ色タイルの丸柱に「上田映劇」の金文字、
そのデザインとリアルな素材感に長い時間が凝縮されています。
 
 
 
 
 
 
見上げるとアールデコ調のかまぼこ型に膨らんだ壁が連続し
これまた年季の入ったローマ字のロゴには凄みが感じられます。
 
 上田映劇は大正17年創業で、当初は演劇場としてスタートし
昭和期には映画館として全盛期を迎えたそうです。
 
 
 
 
 
 
玄関正面の腰壁にはオリジナルの黄土色のタイルが貼られ
上部の緑色の壁とのコンポジションが味わい深いです。
 
 
 
 
 
 
こちらは切符売り場
ひとつひとつのパーツが時間的に調和しながら
凍結保存された文化財とは違う体温が感じられます。
 
 
 
 
 
 
この映画館は平成に入ると大手シネコンなどにおされ
一度は閉館に追い込まれたそうです。
 
それでも、映画を愛する有志によって復活、
瀕死の状態から息を吹き返したのです。
 
映画館は、まちの文化レベルを測るバロメーターです。
 
復活にあたり、映画館の存在は
人々に大きなインセンティブを与えたことでしょう。
 
建築は、自身の持つデザインの力によって
まちの文化を熟成させるために大切な役割を担っています。
 
 

記憶の残像

上田市中心部の商業エリアに現れた風穴
 
老朽化した建物が解体され、その奥に現代のビルが垣間見られ
新旧の地層のように建物を通して時間の奥行きが現れています。
 
 
 
 
 
 
隣接していた建物の外壁にはトマソン級の残像が・・・
古い建物は解体されてなお、まちに記憶を刻んでいます。
 
おそらくこの場所には近々新しい時代の建物が建つのでしょう。
 
まちの新陳代謝とともに過去の記憶は失われますが
一瞬だけ現れたこの記憶の残像は「もののあわれ」のように
この場所に関わった人たちの心に響くのかもしれません。