文化のバロメーター

時代を感じさせるデザインが印象的な上田映劇
 
 
 駅前通りから横筋に入り、
少しくたびれた路地を歩いたところにそれはあります。
 
見知らぬまちでいきなりタイムスリップしたかのような 
錯覚を覚えるほど、リアリティのある存在感です。
 
建物の古さから、閉館した映画館かと思いきや
壁に貼られたポスターを見ると、なんと現役で使われていました!
 
レンガ色タイルの丸柱に「上田映劇」の金文字、
そのデザインとリアルな素材感に長い時間が凝縮されています。
 
 
 
 
 
 
見上げるとアールデコ調のかまぼこ型に膨らんだ壁が連続し
これまた年季の入ったローマ字のロゴには凄みが感じられます。
 
 上田映劇は大正17年創業で、当初は演劇場としてスタートし
昭和期には映画館として全盛期を迎えたそうです。
 
 
 
 
 
 
玄関正面の腰壁にはオリジナルの黄土色のタイルが貼られ
上部の緑色の壁とのコンポジションが味わい深いです。
 
 
 
 
 
 
こちらは切符売り場
ひとつひとつのパーツが時間的に調和しながら
凍結保存された文化財とは違う体温が感じられます。
 
 
 
 
 
 
この映画館は平成に入ると大手シネコンなどにおされ
一度は閉館に追い込まれたそうです。
 
それでも、映画を愛する有志によって復活、
瀕死の状態から息を吹き返したのです。
 
映画館は、まちの文化レベルを測るバロメーターです。
 
復活にあたり、映画館の存在は
人々に大きなインセンティブを与えたことでしょう。
 
建築は、自身の持つデザインの力によって
まちの文化を熟成させるために大切な役割を担っています。
 
 

記憶の残像

上田市中心部の商業エリアに現れた風穴
 
老朽化した建物が解体され、その奥に現代のビルが垣間見られ
新旧の地層のように建物を通して時間の奥行きが現れています。
 
 
 
 
 
 
隣接していた建物の外壁にはトマソン級の残像が・・・
古い建物は解体されてなお、まちに記憶を刻んでいます。
 
おそらくこの場所には近々新しい時代の建物が建つのでしょう。
 
まちの新陳代謝とともに過去の記憶は失われますが
一瞬だけ現れたこの記憶の残像は「もののあわれ」のように
この場所に関わった人たちの心に響くのかもしれません。
 
 
 
 

過去と現在をつなぐ建築

 

上田市の駅前に建つ登録有形文化財の飯島商店
 
長野県上田市は真田幸村で有名な真田氏の居城跡が残り
ラグビーの聖地、菅平でも知られる人口16万のまちです。
 
江戸時代に穀物商を営んでいた飯島商店は、その後飴屋へ業種を変え
現在は、みすゞ飴で知られる上田市の老舗です。
 
 
 
 
 
 
ギリシャ様式やアールヌーヴォー・アールデコの影響が見られる
洋風建築のデザインがまち並みに個性的な表情を与えています。
 
太平洋戦争やその後の高度経済成長、バブル崩壊、経済のグローバル化など
地方都市も時代ごとの経済状況に大きく影響を受けてきました。
 
駅前の一等地という立地から、もっと収益性の高いビルに建て替えらたとしても
不思議ではありません。
 
それでも、この建物は前面道路の拡張工事の時ですら
曳家までして道路後退し、大正時代のデザインを残したのです。
 
時代の変化におされてめまぐるしく姿を変えるまち並みのなかにあって
人々のくらしとともに歴史を刻み続けてきたこの建物は
まちの基点として過去と現在をつなぐ不動の存在となっています。
 
 
 

長野と三重をめぐる

コロナに負けず、観光客で賑わう伊勢神宮のおはらい町
 
高度経済成長期の一時期、車社会により衰退したこの通り、
まち並みの景観整備や交通対策などの努力を重ねて賑わいを取り戻しました。
コロナ禍の反動もあり、この夏最後の週末は凄まじい賑わいです。
 
 
 
 
 
 
一方こちらは長野県上田市、まちなかの風景
どちらも今の日本のリアルな風景です。
 
週末に長野と三重を巡ってきました。
建築やまちをめぐり、出会ったものたちをレポートします。
 
 

自然と建築、そして日本の建築文化について

明治神宮の長い参道を抜けてようやく見えてきた本殿前、三の鳥居
 
左右対称の鳥居は強い正面性を示していますが
ここでも構造物はそれをはるかにしのぐ森に対し
ボリューム的にはあくまでささやかな存在です。
 
 
 
 
 
 
 
鳥居をくぐると本殿のある神域へ
両側にはご神木となる大きな楠が脇を固めています。
 
建築は自然と比べ、あくまでささやかな存在ですが
これこそが、本来の日本人の精神性なのかもしれません。
 
現代では、とかく建築ばかりが出しゃばって
緑はほんのお飾りのように扱われるのが当たり前のようになっていますが
そもそも、それは現代人のバランス感覚が狂ってきているのかもしれません。
 
本来の日本の建築文化とは
自然とのバランス感覚の中で成立しうるものではないか、
今回は、改めてそれを気づかせてくれる、とても価値ある訪問となりました。
 
 

奥ゆかしさについて

再び、4月に訪れた明治神宮の話に戻ります。

原宿駅前の一の鳥居からつづく南参道
およそ500mの長い長い参道を歩いて行きますが
この時点でその先の鳥居や本殿は全く見えません。
 
原宿のまちの喧騒は、この距離を歩く時間とともに
神聖な気持ちへと整えられていきます。
 
この長い参道は神様に対面するための
心の準備をするための空間と言えるのかもしれません。
 
 
 
 
 
長い参道の先にようやく見えてきた二の鳥居
 
 
この鳥居は日本最大のものでとても象徴的な存在なのに
その存在を大げさに主張するような位置に置かれていません。
わざわざ、南参道からは見えないように建てられているのです。
 
 
 
 
 
鳥居の高さ12m、幅17.1m、柱の直径は1.2m
(明治神宮公式サイトより)
 
本当に堂々とした鳥居です。
でも、その先にはまた森のみ、本殿は見えません。
 
あえて見えなくすることによって、
奥へ奥へと人の心をいざなっていくようです。
 
ここにはただただ鳥居だけが存在するのみで
本殿へ向かっていることをさりげなく暗示しています。
 
堂々としているのに誇張するでもなく、
その先の本殿への入口であることだけをさりげなく示す
最高にデザインされたサインのように私には感じられます。
 
 
 
 
 
朝日を受けて、鳥居のシルエットがさらに大きな影となって
参道に映り込みます。
 
見渡すかぎりあたりは森と空ばかり
そこに刻まれた鳥居の影
 
人工物なのに実体がない虚ろな存在ながら
明快なシルエットは自然との対比を成していて
もはやランドアートのような域に達しています。
 
 
 
 
 
鳥居を抜けるとその先は突き当たり、
そこで右に曲がるといよいよ本殿前の鳥居が見ててきます。
 
距離や時間、そして視線の変化や気配などを巧みに使って
実体以上の奥行き感が生み出されているのです。
 
奥へ奥へと誘うことで生まれる神という存在の崇高さが
最高の「奥ゆかしい」デザインで表現されています。
 
 
 

人がつくった聖域2

空に向かって伸びる常緑広葉樹と落葉広葉樹
 
明治神宮の参道
その参道を包み込むように大樹が広がっています。
 
太古の昔から存在する原生林のような迫力がありますが
実は、この杜は大正時代に人の手によって生み出されたものです。
 
 
 
 
 
参道沿いの案内書きによると
ここは江戸時代には加藤家と井伊家の庭園があった場所で
明治時代に皇室の料地になりました。
 
しかし、その後、明治の終わりには荒地となっていましたが
明治神宮の造営にあたり、豊かな杜をつくることが計画されたのです。
 
計画を担った本多静六、本郷高徳、上原敬二らの専門家は
人の手によらない「永遠の杜」を実現することをめざしました。
 
それは、
成長の早い針葉樹がまず育ち、その後は徐々に広葉樹に置き換わり
150年かけて人の手を離れて自然に循環していくという
自然の摂理を尊重した遠大な計画でした。
 
全国から10万本の樹木が奉納され、
植林や参道づくりにはのべ11万人の青年が勤労奉仕を行ったそうです。
(以上、明治神宮の公式サイト、およびNHKスペシャルより)
 
 
 
 
 
現在の参道脇には、朽ち果てた倒木の脇から新芽が芽吹いており
確かに自然の循環が行われていることがわかります。
 
環境問題への関心が高まる中、
目先の成果だけにとらわれず、時間がかかっても自然の持続性を尊重する
この神宮の杜の営みは多くの示唆を与えてくれます。
 
 
 
 
 
早朝の参道では、「はきやさん」とよばれる職人が
長い柄のほうきを巧みに使って、参道をきれいにしていました。
 
ここで集められた落ち葉は、再び杜に返されて
杜の循環に生かされるのです。
 
100年の時を経て、人の手を離れて循環し始めた杜は、
わずかに人の手を借りながら自然のもつ豊かさを持続させていきます。
 
自分が目にすることのできない150年後の計画をつくった専門家たち、
そして樹木を奉納し、労働を捧げた、たくさんの人々。
 
そこにうかがえる「利他のこころ」が
この聖域の精神性にあらわれているような気がしてなりません。
 
 
 

人がつくった聖域

4月に訪れた明治神宮
 
若い頃からなぜか神社や寺院に惹かれ、
仕事で休みが取れると、よく京都や奈良に出かけていました。
 
特に古いから好きというわけでもないのですが
俗世間にはない聖なる場所のもつ精神性に惹かれたのでしょう。
海外でも教会やモスクへはよく足を運び、同様の感覚を覚えてきました。
 
明治神宮は今回が初めての参拝で、自然とこころが引き締まります。
原宿駅側の入口からちょうど工事中だった鳥居の脇道を抜けて
見えてきたのがこの南参道です。
 
原宿の賑やかなまち並みからわずか数分足らずでこの景色に一変、
早朝の境内は空気が澄みわたり、まさに聖なる世界へタイムスリップ。
 
おおらかにのびる参道は真っ直ぐではなく、ゆったりとカーブを描き
途中にある橋へ向かってゆるやかに下り、そこからまた上っていきます。
両側には参道を覆うように大きな樹々が空間を包み込んでいます。
 
ここには人工的なものはほとんど見当たりません。
あるのはただただ広々とした道と樹々と空だけ。
 
なのに、とても品があって、こころが静かに洗われていくようです。
 
 明治神宮は、大正9年(1920年)に人の手によってつくられた
比較的新しい神社です。
 
しかし、それはむしろ「人の手」というより
「人のこころ」によって生み出されたものなのかもしれません。
 
人がつくったこの聖域は、いかなる思いで生み出されたのか
次回、改めて探ってみたいと思います。
 
 
 
 
 

丸の内仲通りアーバンテラス

丸の内仲通り
東京駅前の行幸通りから有楽町までつづく850mほどの区間で
道路を歩行者空間として活用するモデル事業が行われています。
 
 
 
 
 
 
 
沿道にはプランターなどの植栽で空間に潤いが与えられています。
 
 
 
 
 
 
歩行者空間には欠かせないベンチも常備されています。
 
 
 
 
 
 
事業では、日中は道路を歩行者空間にすることで
歩行者にとってゆとりのある空間を提供しています。
 
 
 
 
 
 
また、単なる移動空間だけでなく滞留できる「テラス」と捉え
ゆったりと過ごせる場をめざしています。
 
以下のようなコンセプトが謳われています。
 
「地中海沿いの都市では
 街の通りは、応接間であり、会議室であり、
 そして劇場であるといいます。 
 (中略)
 近年の研究によれば、歩いてたのしい
 通りのある街の人々の幸福度は
 そうでない街に比べて総じて高いそうです。」
 
私もイタリアや南フランスなどを実際に歩いてきた経験から
そのことをとても強く実感しています。
(詳しくは、このブログの「週末連載〜南フランス」にてレポートしています)
 
まちのなかにある広場や道路などの公共空間の質の高さが
まちの豊かさに決定的な影響を与えているのです。
 
ヨーロッパでは1960年代に車社会の弊害を自覚し
50年かけて人間中心のまちを回復する取組みが行われてきました。
その結果、上記のコンセプトのように生き生きとした空間が復活しているのです。
 
その動きは、21世紀に入り
ニューヨークやメルボルンなどでも実践が進んでいます。
 
そして、東京の中心でも
遅まきながらとはいえ、実践活動がはじまったことは
とても喜ばしいことです。
 
 
 
 
 
視察した4月1日は肌寒い気候だったこともあり
昼下がりの通りを歩く人はそれほど多くはなかったものの
テーブルやイスが配され、キッチンカーなども出店して
通りのアメニティに貢献していました。
 
ちなみに、
歩行者空間は日中の一定時間のみなので
イスやテーブルは、誰かが片付けていることになります。
しかも、毎日欠かさず!
 
 
 
 
 
こちらにはエスニックのキッチンカー
 
すでに昼食を済ましたあとでしたが
バインミー、食べてみたかった・・・、残念
 
 
 
 
 
 
もちろん、
くつろぎに欠かせないコーヒーのキッチンカーも常設です。
 
 
 
 
 
 
 
通りに面したオープンカフェもありました。
室内から賑わいや活動が染み出すこのようなお店は
通りの居心地を高めるために欠かせないものです。
 
 
 
 
 
 
建物の1階部分には
通りに浸みだすように開放的なお店も幾つか見られます。
 
ベンチやイスにキッチンカー、潤いを与える緑など
様々な設えが工夫されていますが、
それだけではまだパーフェクトとは言えません。
 
沿道沿いの建物の1階部分が通りとつながり
多様な種類のお店が通りと一体になって
連続的につながって空間を作り出すことが重要なのです。
 
その意味では、建物側の対応がまだまだ消極的ですが
今後、この部分をブラッシュアップして
さらに豊かな通りをめざしてほしいと思います。
 
 
 
 
 
 
丸の内仲通りを抜けて日比谷シャンテ(写真左奥)の前へ。
 
日比谷シャンテのビルの角は円形に切り取られ
さらに上層に向かってセットバックすることで通りにゆとりを与えています。
 
建物の形に呼応するように道も直線ではなく緩やかに曲がり
そこにできた余白の空間にポストや植栽、ベンチなど
通りを生き生きさせるストリートファーニチャーが設えてあります。
 
 
 
 
 
 
日比谷シャンテ前から帝国ホテルへ抜ける道
 
通り自体は直線ですが
波打つような曲線上に植栽とベンチが配されて
まるで曲がりくねる道のように演出されています。
 
仲通りに続いて
ここにもゆったりを歩くことのできる歩行者空間の実践が見られます。
 
まだまだ、始まったばかりの歩行者空間の実践ですが
これからも着実に結果を積み重ねて
時代にふさわしい人間中心の豊かな通りが広がることを期待しています。
 
 

東京駅丸の内駅前広場

4月の初め、出張で東京に行ってきました。
その際、まちや建築をいくつか視察してきたので随時アップしていきます。
 
東京駅を降りてまず向かったのが丸の内駅前広場
設計は、徳山駅前広場と同じデザインチームが担当しています。
 
2017年に完成し、首都の玄関口にふさわしい景観と
ゆとりのある歩行者空間をもつ広場に生まれ変わりました。
 
 
左手に辰野金吾の設計による東京駅駅舎、
正面の高層ビルの低層部分は、吉田鉄郎設計の東京中央郵便局。
建替えの際、元のファサードが保存されました。
 
大正時代の様式建築、昭和初期のモダニズム、そして背景に現代建築、
これらが一堂に展開する建築の歴史博物館のような広場です。
 
 
 
 
 
 
広場から皇居へ伸びる行幸通り
両側に建つビル群が屏風のように連なり、軸線を強調しています。
 
 
 
 
 
 
 
丸の内駅前広場には夏場の温度上昇を抑制する芝生と
大きな木陰を作り出すケヤキの並木が植えられ
その足元には人々が休憩することのできるベンチが設けてあります。
 
ベンチの後方に見えるキノコのような円筒状の構造物は
もともと存在していた地下の換気塔をデザインし直したもので
景観を壊さないよう、高さを抑えることに腐心されたそうです。
 
 
 
 
 
 
 
行幸通り側から見返した東京駅
 
広大な歩行者空間のなかに街路樹やベンチ、街灯。
駅舎のもつ美しさを最大限尊重してデザインされ、調和した風景を生み出しています。
 
 
 
 
 
 
 
東京駅の背後に建ち並ぶ高層ビル群
これらは景観上の課題をはらんでいますが
外壁がガラスで揃えられ、その存在を薄めようとしているようにも感じます。
 
 
 
 
 
 
 
行幸通りでは結婚式の前撮りが行われていました。
この場所の景観が、門出にもふさわしい演出効果を与えています。
 
 
 
 
 
 
 
行幸通りの真ん中部分は広場状の歩行者空間になっていて
ここでもイベントが行われていました。
 
日本の駅前のなかで最も格式高いこの場所ですが
日常には市民の活動にも開放されている、それを目の当たりにしました。
 
公共空間をただ眺めるだけの「飾り物」に終わらせず
市民が共に過ごせる場として共有していく、素晴らしい実例です。