柳田國男の出身地、兵庫県福崎にて
内陸のまちを南北に流れる市川、そのほとりに穏やかな風景が広がります。
自然と人の営みが混ざり合う何気ないところに、にわかに現れた一瞬の美しさ。虚飾のない無垢の風景は、神が宿ったように美しい。
特別なものは一つもなくとも、美はちゃんとそこにある。
柳田國男の出身地、兵庫県福崎にて
内陸のまちを南北に流れる市川、そのほとりに穏やかな風景が広がります。
自然と人の営みが混ざり合う何気ないところに、にわかに現れた一瞬の美しさ。虚飾のない無垢の風景は、神が宿ったように美しい。
特別なものは一つもなくとも、美はちゃんとそこにある。
児玉神社の既存事務所の解体が終わり、新築建物の縄張りを行いました。
写真右奥には社殿、その手前には台湾の元総統、李登輝氏の揮毫を
社務所の背後には、徳山小学校の大樹が空へ枝を大きく伸ばしており、この木々を背景にして社務所が建つことになります。
高水の敷地にて地盤の精密診断を行いました。
1ヶ月前に行った地盤調査では、場所によって地下1〜5mのところに自沈層が存在するため、地盤改良が必要との結果がでました。
ただ、敷地は造成されてから50年以上経過しており、建物も軽量の平屋でもあり、果たして高額の地盤改良が必要なのか・・・?
ということで、構造事務所による地盤の精密診断を行い、改めて地盤改良の要否を確認することになりました。
精密診断では、支持地盤の深さや地盤の固有周期などを測定。
測定器で計測が難しい浅い層の部分は、コーンペネトロメーターという装置を直接地面に差し込んで、地盤の強度を確認。
今日の診断結果をもとに、改めて建物に最もふさわしい基礎形式を見極めていきます。
湯や晴ル音で建具の不具合があるとのことで現地確認に行ってきました。
施設の完成からちょうど1年、湯野の里も今まさに桜が満開です。
建具調整の段取りを行い、帰路につきましたが、この場所は特に桜の季節が美しく、まるで桃源郷に迷い込んだような気分になりました。
周囲を小山に囲われた高水の住宅地にて、30坪の平屋住宅を計画中。
基本的な建物の配置と平面計画がまとまったところで、地盤調査を行いました。この計画では、長期優良住宅の認定を受けるため、構造などの仕様を早めに方向付けし、予算とのすり合わせを行います。
調査したデータがそのままスマホに視覚化されて見られるため、地盤の状態がすぐに確認できるようになりました。
地表から1mほどのところに柔らかい地層(色の濃い部分)が見られます。この状態がどれくらい影響するのか気になりますが、調査結果を待って、基礎の設計を進めていきます。
現在進んでいるプロジェクトの一つ、児玉神社の社務所建替え計画
NHKで毎週日曜の夜11時から再放送されている司馬遼太郎作「坂の上の雲」、日露戦争で総参謀長として日本を勝利に導いた児玉源太郎。ドラマでは、高橋英樹が熱演しています。
その児玉源太郎を祀る神社が周南市の徳山小学校西側に存在しますが、今回、老朽化した社務所を建て替えることになり、その設計を任されました。
社務所は、神社の中では脇役的な存在のため、本殿と調和しつつもできるだけ主張を抑え、かつ、質実とした品格が感じられる存在となるよう、デザインの最終調整中です。
4月から始まる工事に向けて、行政手続きや見積調整を進めながら、デザインの細部を可能な限り詰めていきます。
昨年秋から10回にわたりレポートしてきた熊本視察、今回見学した建築がもつ意味を改めて振り返ります。
建築の文化的な価値の向上を目指して始まった熊本アートポリス事業からまもなく40年、日本が最も元気だったバブル期に始まった時代性もあり、著名な建築家がデザインを競い合う博覧会のような建築が、地方に文化的な刺激を提供しつつも、地域や人のくらしとはどこか遊離したよそよそしさを感じさせました。
その後、日本は長い経済の低迷期が続き、地方は高齢化と人口減少が進みました。そのような状況下に起こった熊本大震災で、地域はさらに大きなダメージを受けました。
一方で、バブルを経験した日本人は、様々な豊かな経験を通じて、多様な価値に触れ、個人が自立した価値観を持つようになり、地方でも地域独自の文化に視点を持って表現される建築が生まれるようになってきました。
上の写真「喫茶 竹の熊」は、まさにローカルな地域の持つ豊かさを丹念に見つめ、その豊かさを建築を通して表現しています。特に斬新でも派手でもない、昔からある当たり前の構法を使いながら、地域の環境と調和する空間構成で新たな価値を生み出しています。
熊本市内にある神水公衆浴場は、震災での経験から生まれたコミュニティの再生事業のような存在です。個人個人が独立し、コミュニティが希薄になった現代にあえて共同性を持ち込み、住民同士をつなぐ地域の欠かせない拠り所をつくっています。
古い商家をリノベーションした珈琲回廊は、まちへのプライドを感じさせる秀作です。バブル時代は新しいものが是であり、古いものや過去のものには目が向けられませんでしたが、ここでは地域の歴史的な価値をしっかりとリスペクトし、現代の価値とも上手に融合させて再生させるという、優れた感性とデザイン力に満ちています。
震災で建物が倒壊した敷地にカフェというかたちで新たな交流拠点を生み出したOMOKEN PARKは、収益を最大化する商業主義建築とは真逆の最小建築で、それによって生まれる心地よい余白がまさにみんなの公園となり、ここに集う人をいざない、商店街に新たな風を吹き込んでいます。
これらの建築には派手なデザインや見た目の斬新さは見当たりませんが、自然や歴史、コミュニティなどがもつ地域独自の価値を丹念に読み取り、人とくらしをより豊かなかたちでつなぐ場となっています。
人間にとって大切なものとはなにか? 本当の豊かさとはどのようなものか? それを改めて考えさせてくれる貴重な機会となりました。
商店街のビルの谷間にはさまれて建つ平屋のカフェ
この小さなカフェには、熊本大震災で倒壊した建物のオーナーが、新たにカフェとして建物を再建するまでの汗と涙の物語が詰まっています。
カフェは通りからセットバックした前庭を持ち、カフェの奥には中庭が垣間見られます。室内は中庭まで通り抜けられるトンネル状の空間です。天井も手前から奥に向けて段々状に低くなっていて、天井の段差を利用したハイサイドライトが設けてあります。
実に単純明快な空間構成ながら、様々な建築的工夫が効果的に組み込まれていて、居心地のよい人々の拠り所を生み出しています。
カフェを通り抜けた先にある中庭
正面と両側を背の高いビルに囲まれることで生まれた空間はアーケードに覆われた商店街に開放感のある空を提供しています。包まれながらも空へ開いた中庭は室内以上に心地よい空間で、ニューヨークのペイリーパークを連想させます。
と思ったら、ビルのオーナーから声をかけられ、このビルの経緯を詳しく説明いただくことになりました。図らずもオーナーの口から出てきたのはやはり、ペイリーパークやヤン・ゲールなどの名前。
建築やまちづくりの専門家でなければ、およそ知るはずのない名前をなぜこの人は知っているのか・・・?
驚きととともに親近感を感じつつ話をお聞きすると、様々な人とのつながりの中からこのカフェに命を吹き込むアイディアやヒントを吸収されてきたことがわかりました。そこには、資金難や商店街の既成概念などに苦しみながらも、この土地への愛着とまちへの情熱があふれていました。
そんなオーナーが展開するこのカフェでは、毎月様々なイベントが企画されていて、市民活動の交流拠点のような場になっています。それは、まるでリアルなSNSのようであり、建築はさながらそれを体現するハードケースのような存在です。
くわしくはこちら OMOKEN PARK
カフェの屋根は屋上デッキになっていて、建築のボリュームを抑えることで生まれた余白を実にポジティブに活用しています。そして屋上デッキはアーケード空間につながっていて、まるで吹き抜けから商店街を往き交う人たちを見下ろすような楽しげな空間です。(右端の人物がビルのオーナー)
屋上デッキから見下ろしたアーケード空間
一般的に商店街にあるお店は、一旦中に入ると閉じた空間になっていて、通りとのつながりが絶たれた独立した閉鎖空間となりがちです。しかし、この敷地におけるカフェと屋外空間にはその閉塞感はまったくなく、まちとつながって、清々しい開放感に満たされています。
様々な壁を乗り越えながらこの場所における思いをかたちにし、さらに前進していくオーナーと、その思いに応え、限られた予算で見事に空間を生み出した建築家、実にあっぱれです!
アーチ橋の中央から勢いよく吹き出す水が圧巻の通潤橋
石造りのアーチがとても美しいですが、それだけではなく、橋の中央から水が吹き出すというのは、見たことのない唯一無二の光景です。何年も前に雑誌の写真で見かけて以来、いつかこの放水を見に行ってみたいと思っていましたが、今回の視察でようやくそれが叶いました。
世にも珍しいこの橋が造られたのは、1854年。ペリー来航の翌年という実に歴史ある橋です。この橋が造られた目的は、写真左側の小笹地区の水源から右側の白糸大地に農業用水を送るため。当時、白糸大地には湧水以外に水源がなかったが、この水道橋によって100ヘクタールもの棚田を潤したそうです。
長さ76mの橋の中には1m角の石 管が通っています。この石管に詰まったゴミを洗い流すために、定期的に放水を行っているそうです。(実際には年1回程度だそうですが、現在は観光用に年間を通して放水が行われています)
詳しいスケジュールはこちら ※2024年のもの
水面からの高さ20m、美しい弧を描くアーチ橋は周囲の自然風景と見事に調和しています。この橋は生活を支えるために造られた純粋な土木構造物です。そこには作者の表現欲や主張は微塵も存在せず、だからこそ、まったく雑念のない無垢の美しさを獲得できたのでしょう。