意志を感じるデザイン

秋野不矩美術館はアプローチの工夫や外観の造形、リアルな質感など、建築家の秀でたデザイン力を感じました。今回は、細かいところにスポット当てます。

写真はアプローチ道路脇の手すりと側溝です。これがデザイン?と思ってしまうほど何気ない造りです。

はっきり言って地味!安っぽい・・・?

確かに見た目は決して洗練されているとは言い難いかもしれませんが、どちらも木で作られていることが肝であることは間違いありません。

美術館の原始的な造形や自然素材のワイルドな質感が生み出す世界観が、これらの小物たちにもしっかりと貫かれており、私にとっては、これぞデザイン!と言える一品です。

木は腐るとか、木は色褪せるとか、ネガティブな意見も囁かれそうですが、それすら超越した建築家の力強い意志を感じるデザインです。

 

 

何気ない風景@スターバックス

ガラス越しの緑、そこからの木漏れ日が店内を心地よく満たします。

浜松城そばのスターバックスは、シンプルな造りながら実に気持ちのよい場所です。建築に気負いはまったく感じられず、ただただ清浄な気だけが感じられます。

公園に面した外壁は床から屋根まですべてガラス貼り、ほぼスケルトンの空間は森に抱かれたようで、室内にいながら森林浴の気分です。

 

 

 

視線を公園に移すと見えるのは、こちらも穏やかな休日の風景です。

公園はほどよい広さで、外周をぐるりと豊かな緑が包んでいます。三々五々と人が訪れては去っていきつつ、絶えず人の振る舞いが感じられる情景に、のどかな印象派の絵画を想い起します。

 

 

 

圧巻の存在感

長方形のボリュームの左右に三角屋根の建屋が噛み込んだ特異な外観

昭和生まれの画家、秋野不矩は新しい日本画の創造を求め続け、インド滞在をきっかけに異国の地の人と風景を主題とした壮大な作品を生涯にわたり多数描きました。(秋野不矩美術館HPより)

美術館の外観は、インドの大地のもつ力強さや荒々しさがそのまま建ち上がったようなダイナミックな造形です。

 

 

自然石のスレート屋根と塗り壁の外壁

これは縄文時代の遺跡です、と言われても不思議ではないような表情は、現代のツルツルした人工的な建築が失ってしまったリアルな質感と力強さを持っています。

 

 

壁から突き出した樋の落とし口

こちらも原木を削り出しただけの原始的な造形が、荒々しい壁に影を刻みます。

 

 

外壁のディテール

日本伝統の繊細な塗り壁とは対極的なこの壁は、「仕上げた」というより「格闘した」と言った方がふさわしいような強烈さです。

画家がめざした新たな日本画の創造やインドで獲得した大地の表現が、そのまま建築の姿として宿ったような、圧倒的な存在感を放っています。

 

 

巧妙なるアプローチ

緑豊かな山懐に延びる一本の道

道路脇にはレトロな木製の電柱、そして奥には何やら宇宙船のような小屋が垣間見えます。

秋野不矩美術館は、浜松市の郊外、仁保川近くの丘の上に位置します。丘の下にある駐車場からは美術館が全く見えませんが、ここでは、建築家が仕掛けたと思われるアプローチの妙を味わうことができるのです。

 

 

グーグルマップで見ると、中央の丘の上に位置する美術館へは、左脇にある駐車場から曲がりくねる坂道を上り、さらに道をUターンしてようやくたどり着くようになっています。

自然の地形を巧みに生かし、わざわざ長い坂道を歩かせて、道を折り返した先に美術館が現れるという仕掛けは、アートに触れる非日常の時空間へいざなうアプローチとして、実に見事な演出です。

 

 

坂を上った折り返し地点

ここまでは美術館に背を向けるように歩いてきましたが、ここで振り返ると、ようやく美術館が目に入ります。しかし、ここでも来館者をじらすように、手前に樹木を置いて、美術館の全容はまだ見せてくれません。

ちなみに、右脇に見える宇宙船のような小屋は、離れの茶室です。

 

 

坂道を折り返すとようやく美術館正面の大きな壁が見えてきました。

ここからは一直線、坂を登るとともに視界が開け、少しずつ美術館の全容がわかり、来館者の期待感を高めていきます。

 

 

坂道を歩くこと約5分、ようやくたどり着いた美術館とご対面。

距離と時間を使い、場面転換を行いながら人を奥へ奥へと誘い込み、最後の最後で全容を展開する。そこには、伊勢神宮などの神社にも通ずるアプローチの巧みさを感じます。

この美術館では、見たこともないような不思議な造形ながら、その堂々とした姿で来館者を迎えてくれるのです。

 

 

美はちゃんとそこにある

柳田國男の出身地、兵庫県福崎にて

内陸のまちを南北に流れる市川、そのほとりに穏やかな風景が広がります。

 

 

自然と人の営みが混ざり合う何気ないところに、にわかに現れた一瞬の美しさ。虚飾のない無垢の風景は、神が宿ったように美しい。

 

 

特別なものは一つもなくとも、美はちゃんとそこにある。