何気ない風景@梅田

大阪駅前から望む早朝の梅田スカイビル
京都駅でも有名な原広司の設計です。
 
著作「機能から様相へ」で論じた均質空間へ対する批判的思考を
この巨大なビルにも表現しようと試みたことが
朝焼けの景色が写し込まれた姿から感じられます。
 
それでも、巨大なガラス張りの均質な壁という存在感はやはり強く
現代へ変化する過渡期の時代状況が伺えます。
 
 
 
 
 
 
ビルの足元まで近づいてみると、思わぬ風景が!
 
均質で硬質なビルのよそよそしさが
足元に群がる中低層のビル群によって見事にかき乱されています。
 
まるで、上手に仕上げられた絵画に子供が落書きをしたように
よそよそしさが無邪気な雰囲気に変わります。
 
美と醜の定義や境界については過去にも何度か触れてきましたが
その概念以上に、まちの体温のような部分でこの風景は興味深いです。
 
 
 
 
 
 
「落書き」つながりでもう一つ
梅田スカイビル界隈の路上に書かれた配管工事のための記号たち。
文字や線が入り乱れ、専門業者でなければ落書きにしか見えません。
 
現在、梅田北エリアで進んでいる大規模開発に伴う工事なのかもしれません。
 
美しいとはとても言えないこの風景はまちが進化する活力を表していますが
一方で、ラーメンの赤提灯などが一掃されて
よそよそしい風景に変わってしまうのだろうかと、ちょっと不安にもなります。
 
世の中は真新しいものやきれいごとだけでできているわけではありません。
美醜を超えて、時代時代の様々な歴史が重なっていたり
表通り以外に路地裏や横丁的な多様な場によって深い奥行きが生まれます。
 
巨大な開発がまちの体温までも奪ってしまうことにならないことを
願うばかりです。
 
 
 
 
 
工事中の仮囲いに看板が掲げられていました。
大阪駅前の貨物ヤード跡地を活用した9万平米あまりに及ぶ巨大開発です。
(詳しくはこちら https://umekita2.jp
 
オフィスやホテル、商業施設などに加え、
東京ドーム1個分の都市公園が大都市大阪のど真ん中に生まれる予定です。
 
看板の絵にあるような緑豊かな潤いのある場所ができると思うと
とてもワクワクします。
 
ただ、懸念がないわけでもありません。
日本の都市公園には管理する側の息苦しさが常に漂っていて
パリやニューヨークにある公園のような
人間味や自由でのびのびとした雰囲気が生まれにくいのが難点です。
 
願わくば
この都市公園が、管理されたよそよそしい場所ではなく
大阪らしい人間臭さを包み込めるような、寛容な場になることを期待します。
 
 

何気ない風景@臼杵

臼杵インターから現場に行く通り道、
昭和っぽい2階建ての家が建っています。
 
あまりの何気なさにうっかり通り過ぎそうでしたが、なにやら気配が・・・
 
改めて見直すと
2階部分が平屋に対し、45度くらいの角度を振って引っ付いています。
 
2つのボリュームに角度をもたせて構成するのは
建築家のやりそうなデザイン手法ですが
どうみても建築家の手が入っているようには見えません。
 
しかも、
角度だけではなく、その引っ付き方がどうにも怪しい。
 
 
 
 
 
 
2階建ての妻側から見るとこんな感じ。
 一見、ひとつの建物に見えますが、接続部分がどうにも不自然です。
 
 
 
 
 
 
接続部分に寄ってみると・・・
 
なんと!
左の2階建ての外壁は、平屋側の窓の途中にぶち当っています。
建築の仕事をする人間の言葉で言うと、「納まっていない」のです。
 
おそらく
あの窓を開けると、2階建て側の外壁の断面が露出して見えるはずです。
 
どんな事情があったかは知る由もないですが
無作為なさりげないさとは裏腹のショッキングな状況、
せつなさすらも漂うトマソン級の建築と言えそうです。
 
それにしても人間というものは何をしでかすかわからない(笑)
こんなスリリングな建築は、AIでもなかなか思いつかないでしょう。
 
 
 

何気ない風景@東山町

駐車場の後ろは崖!
 
しかも車路は下り斜面で、後ろには頼りないフェンスのみ。
操作を誤れば、間違いなく崖下に転落です!
 
 
 
 
 
 
 
角度を変えてみると崖下までの高さがよくわかります。
 
切通しのような道に面したこの敷地、
高台の地形をその時々の要請によって人工化していった果てに
できたと思われる、思いっきり変形の立体的空間です。
 
なかなかのスリリングなこの風景、
海外では時々見かけることもありますが
安心安全には人一倍うるさいこの日本にもあったんだ・・・
 
 

何気ない風景 @上村

何気ない風景、久々の投稿です。
 
打合せの帰り道、
この辺りではよくある山あいの風景のなかに
なにやら気になる建築のシルエットが・・・
  
周囲の自然の大きさに対して
建物の置かれ方やサイズのバランスが抜群です。
 
 
 
 
 
3つに分節されたボリュームは、
まるで楽譜の音符ようにリズミカルに並んでいます。
 
左と中央のボリュームは段違いで、
右のボリュームはそれらから切り離されていますが
屋根の形状によって左側のボリュームとの関係性を保っています。
 
これらのボリュームの正面には窓がないため
抽象性と純粋性はさらに高まっています。
 
 
 
 
斜めから見たところ。
 
左側の妻側にはシャッターがはめられているので
軽トラか耕運機が格納されているものとみられます。
 
中央と右側のボリュームは背が低く、向き合う面が吹きさらしで
開放倉庫として使われているようです。
 
右側のボリュームが離れているのは、
物が増えたために後に増築されたからなのかもしれません。
 
その屋根は、お互いが糸でも引くように跳ね出して
関係性を強めています。
 
現代のバナキュラーとでも言えそうな
どこにでもあるような素朴な形と表情ですが
図らずも現れた構成美やプロポーションによって
無作為の美のとしての極点に至ろうとしています。
 
 
 

普段着のくらし

 
何気ない朝の風景です。
 
なんの飾り気もない素顔のままの室内は
気品も洗練もない、まさに「普段着」です。
 
パンデミックによって、
我々のくらしは否応なくスローダウンしました。
 
でも、そのおかげでエネルギーの無駄が減り、
モノや時間を貪るように過ごしてきたくらしを
ちょっとだけダイエットすることができるようになりました。
 
焦ってもどうにもならない状況の中で
生き急がず、気を張らず、気取りのない自分らしい「普段着のくらし」に
本質的な居心地のよさを見つけられる、そんな可能性を感じています。
 
 

意識を変える、くらしが変わる

南フランス、アンティーブの旧市街、
立ち話をする3人の男女、手前には子供達も遊んでいます。
 
実は、この3人、すでに30分以上
この場所でずっと立ち話を続けています。
 
旧市街のまち並みをあちこち散策していたのですが、
この場所に戻ってみるとまだしゃべってる・・・(笑)
 
でも、それだけこのまちは居心地がよいのでしょう。
 
迷路のような狭い路地は車には不便極まりないのですが
その分、排気ガスと騒音がなくなり、
なにより、人間が自由に使えるスペースを大幅に増やしてくれます。
 
そのしくみが、この風景につながっているわけです。
 
今回、パンデミックは社会に大きなインパクトを与え続けています。
出口はまだまだ先ですが、
次の時代のくらしを考えるなら、今がチャンスとも言えます。
 
自粛で不便なくらしをどのように快適さに変えていけるのか?
 
利便性を取るか、居心地を取るか、両者がせめぎ合う中で
上手に折り合いをつけるアンティーブのまちに
我々の意識を変えるヒントがありそうな気がしています。
 
 
 

何気ない風景 建仁寺両足院

京都は建仁寺の塔頭、両足院
日曜日に内田鋼一たちの展覧会、「形の素」を拝見してきました。
 
そこで発見した風景から一つ。
 
写真は両足院の回廊部分、
高欄の影が床に薄く映し出されています。
 
明確なラインを持たず、淡く滲んだような姿には
虚と実の曖昧がつくる美しさが現れていて、
思わず心が揺さぶられてしまいました。
 
 
 

何気ない風景@LOGの質感

尾道のLOG、
もともとアパートの共用廊下だった場所です。
 
まったく「インスタ映え」しそうにない何気なさですが
見栄えを競う表現とは対極の、奥深い質感が随所に潜んでいました。
 
 
 
 
 
壁の出隅部分
粗めのモルタルによるザラザラとした質感、
さらに角は丸く削られていて、陰影がとてもやわらかくなっています。
 
 
 
 
 
階段の角や壁との取り合い部分
すべての角という角に丸みが与えられ、面の境界が曖昧になっています。
 
 
 
 
 
樋の落とし口
排水溝、床端部の立ち上がり部分、そして階段
こちらも角の処理は徹底されています。
 
この淡い質感は、
あたかもジョルジュ・スーラの点描のような静謐感を感じさせます。
 
 
 
 
 
スチールの手すり
手すり自体も丸パイプで角もゆるやかに曲げてあります。
 
手すり子のベースになっているフラットバーの角も
丸く削られているのがわかりますか?
 
こんなところにまで一貫した考えが現れていて
設計者による並々ならぬ思いが伝わってきます。
 
パイプの塗料もつや消しで
光は反射ではなく、にじむように物質を映し出します。
 
 
 
 
 
カフェの内部
カウンターは木下地に和紙を貼り、漆で仕上げられているそうです。
その手触りはやわらかく、鉄とは異なる温もりが手に伝わってきます。
 
 
 
 
 
天井の左官仕上げ
職人の指導のもと、スタッフ達で仕上げたそうで
その苦労と込めた思いが濃縮されています。
 
 
 
 
 
土間は左官の掻き落とし
床はそのままベンチにつながり、一体の仕上げになっています。
 
ここにはシャープな造形や派手な表現は存在しません。
 
しかし、
慎重に吟味された質感がコンクリートの建物を包み込んで
静かで奥行きのある空間を成立させています。
 
体験することでしか味わえないこのクオリティ、
時間の流れ方さえ覚醒させてしまうような力を感じます。
 
 

何気ない風景@尾道散歩

尾道にオープンしたLOG
2回に分けてレーポートします。
 
まずは、LOGへ至るアプローチから。
 
尾道の商店街から国道を渡ると見える
道路と並行して走る山陽本線の高架をくぐるトンネルは
まるでにじり口のような坂のまちの入口です。
 
 
 
 
 
 
トンネルを抜けると千光寺公園に至る坂が現れます。
道沿いには所々に雑貨やカフェの小店が営まれています。
 
 
 
 
 
メインの坂道には等高線に沿った脇道が幾つかあり
そこにも味のある路地空間が展開しています。
 
 
 
 
こちらにも。
 
細い路地ばかりの迷路のような空間は
イタリヤや南フランスなど、地中海周辺の集落に酷似しています。
 
 
 
 
ときにはこんなものも・・・
 
狛犬ならぬコマネコ?
 
 
 
 
 
坂を見上げるとシュールな刈り込み!
 
もはやオブジェのようですが
以前東京の谷中で見たのとほぼ同じ造形は
まるでデジャヴのよう。
 
 
 
 
 
 
のぼってきた坂を振り返ると
家々の間に尾道のまちと海が見えてきます。
 
平地の少ない地形を生かして発展したまちの風景は
車社会の地方都市とはまったく異なっていて
古くて不便でも、深みのあるくらしの営みが息づいています。
 
さらに、今やその先の未来へ向けて
独自の文化がふつふつと発酵を続けています。
 

何気ない風景@トクヤマの煙突

見事な非対称の構成
 
産業道路を新南陽から東進すると見えてくる(株)トクヤマの煙突。
高度成長期をリアルタイムで生きてきた市民にとっての原風景です。
 
まったく美的考察のされていないはずのこれらですが
仮に利休や織部が今の世に生きていたら、
どのような美を見出すのか、興味が絶えません。