Time Architects Officeでタグ「まち並み」が付けられているもの
切断面。
ブロック塀は隣地(?)とのせめぎあいの末、
無残にも半分に切り落とされました。
都市の中に潜むイレギュラー。
しかし、
このイレギュラーこそ本来、都市の本質でもある。
これは、都市に限らず、人間が葛藤するところに現れるもの。
それこそが、味であり、切なさでもある。
レギュラーを求めた20世紀にはわかりえない奥深さです。
お久しぶりの谷中の風景。
こんな刈込があるのか!!
およそ、日本の職人サンの仕事とは思えないほどシュール。
向かいの三井ホーム(?)に合わせたのでしょうか?
定かではありませんが、
おそらく、何がしかの化学変化の仕業には違いない・・・。
雪ダルマならぬ、緑ダルマ!?
まちを歩いていると思わぬものに出くわします。
特に、シロートのつくるものには、時に目を見張るものがあります。
もちろん、
緑ダルマというコンセプトを掲げたは思えませんが・・・
これこそ、まさに"無作為"のなせる業。
プロもかなわない強さです。
しっかり積まれた石垣と、そこから生える植物。
これは雑草なのでしょうか?
でも、決して雑然とした表情ではありません。
むしろ、
「やりましたよ!」と言わんばかりのデザインよりは
楚々として美しい。
こちらも寺のある風景。
東京のまちは要素が多い。
そのため、あらゆるものが混ざり合う。
こちらでは、寺の入口横にカーパークと自動販売機が並ぶ。
優劣のない、このスリルな関係が日本的です。
木造続きで、再び谷中へ。
威風堂々とした山門です。
骨太な骨組みに立派な蟇股がついてます。
"正々堂々"としたその姿は
下町の雑踏に凛とした表情を与えています。
再び、谷中のまちから。
コンクリートの柱と電線はとかく風景を邪魔します。
この都市構造物は、一方で生活の近代化の証でもあります。
機能以上になんの衒いもない姿はどこかコンビナートに似ています。
フェチで括ってもよいのでしょうが
利休のように敢えて侘びの世界に引き入れても面白うそうで。
谷中の路地からのつづき。
錆びたトタンの壁に枯れたツル。
千利休であれば、これをどう見立てたでしょうか・・・
何気ないものを美の世界にひっぱり上げる、
その力があれば、まちは面白くなります。
ゆがんだ階段。
路地の突き当たりに現れた、ただならぬ階段。
電柱と隣の家を巧みにかわして
しなやかな揺らぎを見せています。
濃密な都市におこる、どうしようもない状況が
鍛冶屋さんの柔かい感覚によって
見事なデザインに切り返されています。
路地へ分け入る。
左手の万年塀が懐かしい。
コンクリート製で半永久的にもつ塀と言うことで
万年塀というらしいですが、
実際には、老朽化してかなり危険なものが多いのが現状です。
それでも、
人はいないのに確かに暮らしの臭いがする、
東京の下町の代名詞のようなこの風景、
この風情だけで心が潤んできます。
淡い光のグラデーション。
コートダジュールの光は、変幻自在に表情をつくります。
ある時は、まぶしいばかりにさんさんと、
ある時は、路地の奥に柔らかな光の広がりをつくります。
まるで、深い海に淡く光が広がるような
穏やかで美しい光です。
玄関のしつらえ。
土色の壁と鮮やかなブルーのコントラスト、
そして、鉢植えのグリーン。
扉の上のラチスやツル状の緑の飾りつけ、
扉に対して鉢やポストの色あわせ。
あくまで個人のお宅のしつらえですが
このセンスのよさが、まち並みに大きく貢献しています。
二つの扉。
前回の路地を歩いていくと奇妙な扉が・・・。
両側は寺の墓地で、そこへの勝手口のようだけど
この全体に漂う空虚感はなんだろうか?
扉を開けると異次元にでも吸い込まれそうな
キリコの絵に出てきそうな、
谷中版、シュールレアリスム。
この先には何があるのか?
路地というのに、なんとなく惹かれます。
路地があると、ついつい、奥まで行ってみたくなる。
路地には、計画的につくった道路にはない
人間臭さが漂っています。
人の営みから発生した道だからでしょう。
早速、奥まで行ってみるとしましょう。
日本建築と近代的なビル。
この二つはまったく別のデザインだけど
同じ場所で同居しています。
ビルの一部が欠き取られているところを見ると
日本建築がオスでビルがメス?
別の角度から見ると、やはりちゃんとかみ合ってる。
なんともダイナミックな融合です!
「標準」とか「常識」をはるかに超えるリアリティが
まちをイキイキとさせています。
山門不幸?
寺の入口脇に見慣れぬ文字。
この山門をくぐると不幸になるのか・・・?
いや、そうではなく、
このお寺の住職がお亡くなりになったときのサインなんです。
同じ疑問を抱いた人は多いようで
検索するとけっこう解説してあったりして。
寺の多い谷中ならではの、自然な風景です。
お見事!
軒下にはなかなか凝った木組みがされています。
それを受ける大きな梁、年輪も詰まって木目もきれいです。
木の木口は、風雨から守るため銅版で丁寧にカバーされ、
樋の曲線も優美です。
現代のまちの中に伝統の形がちゃんと存在感を持って同居しています。
この時間的な奥行きが、まちに豊かな表情をつくるんですね~。
アートな???。
再び、谷中のまち並み散策。
全面ガラスの外側についているのは格子か?
防犯用につけているのかどうか・・・
仮に、防犯用の格子だとしても、
人を寄せ付けないデザインじゃなくて
まちを歩く人を楽しませようとしているようです。
どうせやるならアーティスティックに、と言うのがこのまちらしさか。
年度末が近づくと盛んになる。
見慣れた風景だけど
これは、ある意味、日本的な風景なのかも・・・。
谷中の懐かしい町でも道路が耕されていますが
耕すべきは、もはやアスファルトではなかろうに。
もったいない。
東京のど真ん中だというのに
道路の余った部分が、誰も使えない未利用地に。
どうせなら、歩道を広げて並木とベンチがあれば
かなり豊かな場所になるのだけど・・・。
何気ない道路。でも何かが違う。
よーく見ると道幅の割りに交通量が少ない。
道路の先はヤマザキのストアがあって、道が大きく左に曲がっている。
通りにあった地図をみると・・・。
この部分だけ道が広がっていて
その両側はギュッと絞られたように道が狭くなっている。
おそらく、都市計画道路が中途半端に出来上がったのでしょう。
それにしても、この空間は道のようで道らしくない、
なんとなくヨーロッパ的広場空間の気配です。
杉ハウス。
外壁も庇も建具もみんな杉。
素材感≒存在感たっぷりです。
開口部のデザインも秀逸。
2階の窓、1階の柱で対称性をつくりながらも
雨戸の戸袋、玄関戸、中連窓が巧みに対称性を崩していたり。
極めつけはポストの柱。
ここにも杉へのこだわりが!
しかも丸太のまま。
このやりっぱなしたような感じは
偶然の産物か、それとも周到なデザインか・・・
不ぞろいの窓。
「形態は機能に従う」という有名な言葉を残した建築家がいました。
その時代には、窓は整然と並ばなければならなかったのです。
20世紀の人間は、かなり行儀が良かったのでしょうか?
それにしても、
機能ってそもそも何かって言うと
人間の営みそのものなんですよね。
この家には多様で自由な人の営みが感じられます。
ひきつづき、谷中から。
懐かしいまちを走るレトロなバス。
バスの右側の白い壁は元銭湯。
いまは、現代美術ギャラリー SCAI THE BATHHOUSE として再生されています。
古臭いといって打ち捨てない、簡単に壊さない。
古さの価値をちゃんと引き出して "新しく使う" ところは
芸大も近いこの場所らしい粋なセンスです。
ぎっしり詰まったあられ。
あられのばら売りなんてまだあるんですね。
そういえば、わが周南の中央街にも老舗がありました。
昔は当たり前だったものも、いまやレアモノ。
モゴモゴ!
決してふざけているつもりはないんですが・・・。
それにしてもキョーレツなネーミングです。
こういうレアな文字が存在しているだけで
まちに湯気が出てきそうなイキイキ感があります。
オシャレとか、カッコイイとかそんな次元を超えて
まちに強さを与えています。
「愛玉子」?
オーギョーチィと読むんですね。
黄色い看板なので、勝手に中国餃子をイメージしたのだけど
台湾のスイーツなんですね。
あとでネットで検索すると、谷中の結構知られた店らしい。
ちょっと食べてみたかったですね。
その名も「筆をつくる店」。
超ド直球のネーミング。
それでも、亭主の人間味がなんとなく感じられます。
東京は谷中のまち。
上野の少し北側にある懐かしいまちです。
路地も多いこのまちには、「らしさ」が至るところに詰まっています。
標準化されないそのまち独特の匂い。
その店独自の味わい。
人間らしい息吹き。
まち歩きの楽しみを追々ご紹介します。
下関の長府を散歩。
とても静かで時を感じるまちです。
川に沿って路地が屈曲、味があります。
電柱や電線がないのも、道が石畳なのも、
塀が既製品でないのも、緑が大切にされているのも
すべて風景になるべく貢献しています。

