虹ケ浜の家、後半戦

虹ケ浜の家では外壁の塗装が終わり、足場が解かれました。
 
外観デザインは、限りなく普通です(笑)
 
「できるだけ目立たない家を」との求めに応じ、地味に抑えていますが
それでも、盛り土によって建物の存在感が大きくなってしまうので
極力軒高を低くして圧迫感を少なくしようとしています。
 
 
 
 
内部ではリビングの欄間回りの加工が行われています。
既存建具や造付家具の枠との取り合いがあり、見た目以上に大変そうです。
 
 
 
 
 
既存建具を使った欄間。
古い家の内縁の欄間に使われていたものを、玄関正面のこの場所に配置。
 
 
 
 
 
 
玄関側から見たところ。
リビングからの柔らかい光を玄関に届けるとともに
新しい家に古い家の持っていた時間と風情を織り込んでいきます。
 
 

屋根解体工事

連日、暑い日が続きていますが
現場では既存屋根の瓦の撤去作業が行われました。
炎天下の中、1枚1枚の手作業、本当にご苦労様です。
 
 
 
 
1階道路側の屋根下地、見上げ
 
既存垂木のサイズは60⨉50前後(現在の規格とは違います)
化粧軒裏の意匠を維持したまま準耐火構造にするため
垂木と野地板は一旦解体し、納まりや部材寸法が改められます。
 
 
 
 
西面2階既存屋根
両端が中央に比べて下がっているのがわかります。
こちらも隅木を入れ直して、矯正していきます。
 
 
 
 
入母屋、隅棟部分の状態
 
瓦を固定していた漆喰は剥がれ落ちており、かなりの瀕死の状態。
風雪に耐えてきた屋根、ようやくお役ご免となります。
 
1箇所1箇所に現代とは規格や納まりの違いがあり、かつ劣化の状況も様々です。
意匠の継承、耐久性、施工性、コストなど多くの変数が絡み合う中で
最適解を求めて大工さんと相談しながら施工方針を定めていきます。
 
 

週末連載 台湾33

台湾庶民の台所のひとつ、雙連朝市
文昌宮という廟を中心に、南北に広がっています。
 
 

 

文昌宮には学問の神様「文昌帝」が祀られており
受験生にも人気のある廟なんだそうです。
 
 
 
 
 
 
 
活気ある朝市の中に静かな祈りの場が同居しています。
 
 
 
 
 
 
 
魚や野菜、果物、食料品などが狭い路地の両側に延々と並んでいます。
整然と商品が並ぶスーパーマーケットではけっして味わうことのできない
人と人の距離の近さとリアルな質感があふれています。
 
朝市や市場は、都市を活性化させる潤滑油のような場、
ドライな現代の都市にこそ、もっとも必要な都市の装置です。
 
 
 
 
 
こちらの加工食品、かなりのウェット感が高温多湿の台北の街らしい。
試しに湯葉のようなもので巻いた右のものをゲット、なかなかの美味です。
 
 
 
 
 
こちらは台湾版のクレープのよう。
中国語はわからなくても、ジェスチャー付で「これひとつ」と言えば
ちゃんとコミュニケーションは成立します。
 
 
 
 
 
 
オッとその時、一台の車が割って入ってきました。
人であふれるこの狭い路地をわざわざ通るか!?
 
まるで無法地帯のようですが
いや、これこそが台湾では当たり前のルールなのかもしれません。
 
誰も騒ぐことなく、平然と車をやり過ごしていく姿に
混沌を柔軟に受け入れていく人間の強さのようなものを感じます。
 
 
 
 
 
朝市のそばには地下鉄MRTの駅からつづく公園があり
買ったものをこちらでのんびりといただくこともできます。
そこにはおこぼれにあずかる鳩たちも・・・
 
ここには余計なルールがあまり存在せず、まさに平和な場所といえるでしょう。
 
 

自然のもの、ありふれたもの

竹の軒樋
 
京都にある茶室や数寄屋では、竹を半割りにして
樋として使う事例がよく見られます。
 
どこにでもある竹という素材を使ったストレートな表現ですが
素人のセルフビルドとは一線を画すセンスが感じられます。
 
 
 
 
 
 
こちらは苑路の縁に使われたクヌギの皮付き丸太
 
自然のものに最小限の手を加えるだけで、
ありふれた素材を無造作に使ったように見せています。
 
 よく公園などに使われているのはフェイク(擬木)ですが
これは正真正銘のホンモノ。
クヌギは結構硬い木なので丈夫なのかと思い、係の人に聞いてみると
実際にはそんなに長持ちするものじゃないそうです。
 
竹にしてもクヌギにしても自然のものは朽ちてしまうので
手入れや交換に絶えず手間がかかります。
 
正確で丈夫で手入れの楽なものは今ではいくらでも手に入りますが
残念ながらそれらには文化の香りがありません。
 
ありふれたものにわざわざ手間をかける、
合理性の対極にこそ、日本文化の本質が香り立ちます。
 

櫛ヶ浜の家、屋根工事

既存屋根の解体工事が始まりました。
梅雨の晴れ間をぬって、下屋の屋根 → 2階屋根と順を追って進めます。
 
 
 
 
 
棟部分の家紋入りの瓦
 
この瓦は、お施主さんの思い入れも深く
既存屋根に残る記憶の一部として新しい部材で復元します。
 
 
 
 
2階外壁下の水切り瓦
 
3段ののし瓦は、上段と下段の間は青海波の洒落た意匠が施されています。
正面だけですが、こちらも新しい瓦で復元する予定です。
 
 
 
 
 
 
既存の瓦、軒先の万十の形状
左側は丸いふくらみがありますが右二つは平らな形になっています。
 
 
 
 
新調する瓦、軒先のイメージです。
屋根屋さんによると、石州瓦では瓦の前垂れ部分に模様が入るそうです。
一瞬、カニが描かれているのかと思いましたが、正式には唐草模様なんだそうです。
 
限られた予算の中では、あらゆる場面で取捨選択の判断に迫られますが
少しでも思いや記憶、そして建築としての有り様を刻めるよう配慮していきます。
 
 
 

離宮と田園

修学院離宮から京都市街をのぞむ。
 
市街地の手前、離宮に隣接して田畑が広がっています。
もともと、後水尾上皇がこの地に離宮を造営した際、
周囲の田畑を残し、耕作する農民の姿も自然風景に取り入れたそうです。
 
徳川幕府との確執から天皇を退いたのち、
上皇はこの離宮で農民と会話し、市井の動きに耳を傾けていたと言われます。
 
離宮は上皇の死後、次第に衰退、
明治の初めには見る影もないほどに荒れ果てたそうですが
明治天皇の御幸に合わせて再整備され、現在の美しい姿を取り戻しています。
 
昭和39年には宮内庁が土地を買い上げ、
景観保護のために地元農家と契約して耕作されているそうです。
 
皇族の離宮と田畑の取り合わせは少し意外でしたが
市井の営みと共にある離宮の風景に、現代に通ずる日本独自の平和を感じます。
 
 

自然以上

修学院離宮、浴龍池
 
標高137mの山あいに位置する4500坪あまりの広大な池は
比叡山からの谷川をせき止めて造られた人工池なんだそうです。
 
その池の奥、山の中腹に上の茶屋、隣雲亭がかすかに垣間見えます。
 
 
 
 
 
隣雲亭から見た浴龍池と京都北山の山並み
 
修学院の核心はこの大パノラマの風景にあります。
自然を大胆に造成しながらも、決して人工的な嫌味が感じられません。
 
大胆なランドアートでありながら、見事に自然と溶け合って
自然以上の美しい風景を生み出しています。
 
 
 

週末連載 台湾32

 

雙連朝市のそばにある豆乳の店、世紀豆漿大王
 
以前、北京の屋台で食べた豆乳スープがあまりに美味かったので台北でも再来、
ということでやってきたのがこの店。
 
 
 
揚げパンが入った熱々の豆乳スープにさらに揚げパンを追加。
追加の揚げパンは、ちぎってスープにつけながら食べると、これがまたうまい。
 
素朴な朝ごはんですが
昔ながらの朝食文化が味わえるこの店、台湾のリアルを実感できます。
 
近隣には日本人観光客向けのホテルもあり、都市化がどんどん進んでいますが
この店が「変わらない」存在であり続けているという事実はすごいことです。
 
そういえば、伊東豊雄さんが築地の豊洲移転について、
混沌としてリアルな場所がどんどん消えていくのはよくない、とラジオで話していました。
 
台湾には、混沌やリアルを許す文化力(民力)が確かに存在し、
その力は時として経済力に勝っています。
 
この懐の深さのおかげで、この朝も幸せな時間をごちそうさま!
 
 
 
 

緻密な仕事の積重ね

修学院離宮、竹垣

6/16の竹垣でも触れましたが、ありふれた素材を精緻に仕上げています。
竹を並べた縦のリズムとそれを留める釘の横のリズムが
別々のレイヤを重ね合わせたような重層する表情を醸し出しています。
 
 
 
 
 
その竹垣の笠木、端部のディテール
 
山形の断面に被せた板金が数ミリ出ており、わずかに水を切ろうとしています。
ディテールというにふさわしい、緻密な仕上がりです。
 
 
 
 
 
竹垣足元の石垣
 
亀甲に象られた石が隙間なく組み合わされて
素材の風化によって、その目地すらも曖昧になっています。
 
 
これらの仕事に共通するのは、
飾り立てることではなく、緻密な仕事の積み重ねによる存在感。
 
一体どれほどの手間がかかっているのだろうと
想わずにおれない、仕事ばかりです。
 
 

不明門

その名のとおり、通ることができない門
 
それなら意味がないじゃない?と片付けてしまっては面白くない。
「開かない」、「通れない」をわざわざ存在させることに
作者が生きた時代の思想や意図が込められているのでしょう。
 
 
 
 
伏見城から移築された門は派手な意匠で強烈な存在感があります。
 
使えないものは不要か?
浅薄な常識に囚われた現代人に対し、
その問いを突きつけているようにも思えるのです。